はじめに
2018年に引退した鉄道の1つに省エネ車両のパイオニア、東京メトロ6000系があります。現役を引退してから9か月たった現在も存在感を放っています。その歴史を紐解いてみることにしましょう。
新機軸満載
6000系が産声をあげたのは、営団地下鉄時代の1968年4月。1次試作車が3両編成(6001-6002-6003)で登場し、東西線の深川検車区に配属されました。
1次試作車はのちに改番され、「6000系ハイフン車」と呼ばれています
この車両は5000系で試作されたアルミ車体が本格採用されたほか、新機軸を次々と打ち出しました。量産車にも採り入れられたものをいくつか取り上げてみましょう。
左右非対称の前面デザイン
運転台を広くとり、運転士の視界を広げるには、前面非貫通構造が望ましいでしょう。しかし、6000系は地下鉄車両なので、当時のA-A基準に基づき、先頭車前面に貫通扉を設けることになりました。
営団地下鉄では、運転台スペースを拡大させるため、貫通扉は正面から見て中心より左側(車掌側)に寄せる形で設置されました。
6000系以降、左右非対称の前面デザインは、地下鉄車両を中心に普及したほか、貫通扉を端に設置した車両も現れました。
効率的かつ合理的な先頭車前面の貫通扉
先頭車前面の貫通扉が開いた状態
6000系先頭車前面の貫通扉はロックを外し、回転ハンドルをまわすと前に倒れる構造で、非常用のハシゴも兼ねました。この様式は有楽町線用の7000系、半蔵門線用の8000系にも踏襲されました。いわゆるひとつの“営団顔”といえるでしょう。
高さ約2メートルの乗務員室用ドア
乗降用ドアの高さは1,850ミリに対し、先頭車の乗務員室ドアは2,100ミリに設計されました。車掌が足かけに乗り、ホームの監視を高い位置から行なうためです。おそらく、地下鉄初の10両編成運転に備え、「見通しをよくするため」と考えられます。
1次量産車の乗務員室ドア
この高さは量産車にも採用されましたが、3次量産車(第20編成以降)から設計変更され、車掌が足かけに乗ることなく、ホームを監視することになりました。のちに既存車は、窓の面積を3次量産車以降に合わせたものに取り換えられています。
電機子チョッパ制御、回生ブレーキ
営団地下鉄では、1965年から丸ノ内線と日比谷線の車両で電機子チョッパ制御の試験が行なわれ、良好な結果を得ました。
5000系まで採用された抵抗制御に比べると、排熱の低減により、省エネ効果が期待できます。当時、列車の増発、地下水の枯渇もあり、トンネル内の温度上昇が課題となっていたのです。電機子チョッパ制御や回生ブレーキはそれを抑える切札的存在といえるでしょう。
電機子チョッパ制御は地下鉄を中心に広まりましたが、大手私鉄ではコスト低減に有利な界磁チョッパ制御が普及しました。
一体感のある車内
車両連結部は引き戸を廃し、貫通路の幅が拡大され、車内の通り抜けが容易にできたほか、一体感のある車内を創出しました。
6000系のハイフン車と1次量産車の車内。いずれも引き戸設置改造を受けました
この構造は1~3次量産車や7000系の一部にも採用されましたが、4次量産車(第22編成)から車両連結部に引き戸が設置されました。また、後年は車内で火災が発生しても、隣の車両に燃え広がらないよう、3次量産車以前の車両にも引き戸が設置されました。
千代田線2代目車両として営業運転を開始
1969年8月に2次試作車が6両編成(6011-6012-6013-6014-6015-6016)で登場。こちらも東西線の深川検車区に配属され、試験が行なわれました。
1970年、ついに量産車が10両編成で登場(量産車のマイナーチェンジなどについては割愛)。車両番号のつけ方が見直され、千以上の位は形式、百の位は号車(例えば、先頭車の1号車は「1」、10号車は「0」と付番)、一と十の位は編成番号にして、わかりやすくなりました。
簡易運転台はシネストン式のワンハンドルマスコンを採用
6000系は千代田線に配属されるため、保安装置はWS-ATC(Wayside Automatic Train Control:車外信号による自動列車制御装置。当時、日比谷線、東西線で使用されていました)からCS-ATC(Cab Signal Automatic Train Control:車内信号による自動列車制御装置)に変更。また、車両基地内で入換運転ができるよう、6500形と6600形に簡易運転台が設けられました。
一方、1・2次試作車は千代田線に移り、車両番号や保安装置変更のほか、後者は中間車を増結し、第1編成として10両化。前者は「ハイフン車」として綾瀬車両基地で入換車という役割をこなすほか、AVFチョッパ制御やVVVFインバータ制御の試験車にも使われました。
6000系は大手町―霞ケ関間延伸開業した1971年3月20日にデビュー。千代田線の初代車両5000系とともに活躍しました。そして、1か月後の4月20日、綾瀬―北千住間の開業により、国鉄常磐線(現・JR東日本常磐線)との相互直通運転が開始されました。
その後、千代田線は西へ延び、1978年3月31日から小田急電鉄との相互直通運転も始まりました(5000系と6000系第1編成は乗り入れ対象外)。
千代田線分岐線開業と6000系の増備
綾瀬から綾瀬車両基地を結ぶ回送線は、沿線住民から旅客線化の要望が出されていました。営団地下鉄はそれに応えるカタチで、1979年12月20日から分岐線として営業運転を開始しました。
これに伴い、6000系ハイフン車が“旅客車両”としてようやく陽の目を見ることになり、車内は極力量産車に合わせたほか、制御装置も抵抗制御に換装されました。
1980年以降も、千代田線“本線”用の5000系が東西線転出に伴う代替、増発による輸送力増強で6000系が増備され、1990年まで22年にわたり、36編成353両投入されました。また、1988年から6年かけて非冷房の33編成を対象に冷房改造され、車内の居住性、快適性が大幅に向上されたのは言うまでもないでしょう。
電機子チョッパ制御からVVVFインバータ制御へ
1992年12月、千代田線の輸送力増強用として、VVVFインバータ制御の06系が登場。以降、営団地下鉄の新製車はVVVFインバータ制御が標準となる。なお、06系の詳細は、拙著『波瀾万丈の車両』(アルファベータブックス刊 https://ab-books.hondana.jp/book/b373446.html)を御参照ください。
初期車はVVVFインバータ制御の換装に加え、側窓も「田」の字型から、一段下降式に変更されました
冷房改造を終えた1994年から、10両車を対象にリニューアルを開始。客室インテリアの更新、方向幕の3色LED化などに加え、VVVFインバータ制御の換装が行なわれました。機器が異なるため、側窓のサイズが小さい車両は6M4Tのままですが、大きい車両は5M5T(「5M」はモーターのある車両が5両、「5T」はモーターのない車両が5両という意味です)のうえ、乗降用ドアの交換、旅客情報案内装置が新設されました。のちに初期車の一部も追設されています。
6000系のリニューアルは、10両車すべてに施行されるものと思われましたが、約半分の19編成にとどまりました。
千代田線の新時代を担う16000系
2010年10月、16000系が登場し、2年かけて6000系電機子チョッパ制御車の16編成を置き換えました。このうち14編成はインドネシアのジャカルタに移り、元JR東日本203系などとともに、新天地では“同僚”として職務に励んでいます。
千代田線5代目車両にあたる05系転属車。分岐線の歴代車両は、東西線からコンバートされた車両が多いです
その後、分岐線用の車両も、東西線から転入の05系初期車が務めることになり、6000系ハイフン車は2014年5月16日、5000系は5月30日をもって営業運転を終了。千代田線用の車両は、JR東日本、小田急電鉄も含め、すべてVVVFインバータ制御車に統一されました。
6000系の引退が延びた理由
2015年から16000系の増備が再開されると、06系が引退。続いて、6000系VVVFインバータ制御車も廃車が発生しました。こちらも2017年度まで13編成がジャカルタへ渡り、電機子チョッパ制御車とともに走り続けています。
当初、東京メトロは、16000系の増備が完了する2017年度に6000系引退の予定をたてていました。しかし、千代田線綾瀬―代々木上原間のホームドア整備やATO(Automatic Train Operation:自動列車運転装置)の工事などにおいて、車両工事が輻輳したのです。
このため、本線のATO運転が始まった2018年3月24日以降も6000系2編成の運行を継続(6000系10両車は、ATO機器未搭載)。各種工事の完了により、秋季限りでの引退が決まりました。
10月5日に定期運行を終了。そして、綾瀬―霞ケ関間で1往復の特別運転(運行番号は「60S」)を実施。土曜日は第30編成、日曜日は第2編成が充当されました。
第2編成は、“「乗車体験」という名のスペシャルラストラン”して、8回運行
現役車両として最後の“晴れ姿”となったのは、11月18日の『メトロファミリーパーク in AYASE』(綾瀬車両基地で開催)。約6万人の応募の中から15,000人が当選し、6000系最後の雄姿に目を焼きつけたことでしょう。
当日、第2編成は最後の“営業運転”に就き、乗客は2度と見られないであろう特別な車窓を堪能したと思います。
車両撮影会では、1960・1970年代生まれの3車種が集結
一方、第30編成は車両撮影会の展示車両として、5000系アルミ車、7000系第30編成と肩を並べました。特に5000系は、4年ぶりに“元気な姿”を披露したのです。
ラスト2編成とハイフン車の今
小田急線への直通運転は2017年5月12日で終了。JR東日本常磐線への直通運転は、定期運行終了日まで続きました
量産車で最後まで残った2編成のうち、第30編成はインドネシアへ。先に渡った27編成とともに、末永く走り続けることでしょう。
引退後最初の“晴れ姿”となった『Family Train Festival! in 新木場』(新木場車両基地で開催)で、元気な姿を披露
第2編成は、しばらく綾瀬車両基地に留置されていましたが、留置本数の問題から、2019年1月8日の日中に新木場車両基地へ回送されました。そして、7月7日には車両基地イベント『Family Train Festival! in 新木場』で、元気な姿を披露しました。
なお、東京メトロによると、第2編成の今後の方向性は決まっていません。
一方、ハイフン車は総合研修訓練センターに“転属”され、訓練車として余生を過ごしています。同センターの職員によると、「週3日程度稼動している」そうです。
6000系は東京とジャカルタで今日も走り続けています。
コラム 千代田線の今
千代田線の分岐線は、2002年にホームドアの設置とATOワンマン運転を開始しています。本線についても2018年度からホームドアの設置が進められています。
これに伴い、先述の通り、2018年3月24日から本線にもATOが導入されました。ただし、小田急電鉄60000形MSEはATO機器が搭載されておらず、引き続き手動運転を行なっています。
また、2019年3月16日のダイヤ改正で、北綾瀬駅のホーム有効長が10両分に拡大され、北綾瀬―代々木上原方面間の列車が新設されました。
ちなみに、東京メトロでは全駅のホームドア設置のほか、全線のATO導入も予定されています(現時点、ATO未導入は銀座線、日比谷線、東西線、半蔵門線)。