はじめに

離婚しか選択肢がなかった

自分がぼろぼろになっていくような気持ちで、日々、子育てに追われたいたワカナさん、ある日、ふと思ったそうです。

「私には離婚するという選択肢がある、と。どうして思いつかなかったんだろうと不思議でした」

先の見通しもなく、彼女は夫に離婚を申し出ます。離婚したいならしてやるけど、あとのことはいっさい知らない。それが夫の答えでした。

「なぜか私、それでもいいから離婚してくださいと言ったんです。夫は何を思ったかぽんと100万円くれ、アパートも契約してくれました。ただし、払うのはもちろん私です」

生活費も養育費ももらおうとは思いませんでした。あるのは夫にもらった100万円と、彼女の貯金200万円だけ。結婚して8年後、32歳のときでした。

「甘かったんですよね。それでも必死で仕事先を見つけようとしたけど見つからない。結局、水商売しかありませんでした。ただ、その1年後に上の子が小学校に入ったので、夜は子どもたちを実家に預けて働きました」

実家では祖父母の介護が本格的になり、妹と弟たちもさまざまな問題を抱えていたので、あまり人手も見込めません。なにより子どもたちが母親との接触不足で情緒不安定になっているのがわかるようになってきました。

「もうどうしようもありませんでした。昼間、風俗で働くことにしたんです。これなら夜は娘たちと一緒にいられる」

そして夜は必死で勉強し、とある資格をとって上の子が中学生になるころ、ようやく資格を生かして転職しました。収入は下がりましたが必死に働き、少しずつ認められるようになっています。

「長女はそんな私を見ていたせいか、がんばって勉強して都立高校に入り、アルバイトもしていました」

大きくなった娘たちは、たまに父親と連絡をとることもあったようです。ワカナさん自身はほとんど接触しませんでしたが、娘たちにとって父親であることは変わりないので黙って見守っていました。

子どもまでも傷付け…

「今年の春、長女が第1希望の私立大学に合格したんです。初年度は100万という単位のお金がかかる。長女は私に気を遣って、元夫に学費を出してもらえないかと頼んだみたいなんですよ。そうしたら元夫に、『今はオレにも子どもがいる。おまえには出せない』と言われたんですって。彼女は落ち込んでいたし、私は元夫に頭に来て電話をかけ、『ものには言い方がある。彼女だってあなたの子どもでしょ』と怒鳴りつけたんです。そうしたら元夫は、『オレの子だと思ってないから』って。彼の本性が見えた気がしました。娘たちにごはんを奢ることくらいはしても、大きなお金を出すつもりはなかったんでしょうね」

娘には謝ることしかできなかったワカナさんだが、お金はもちろん用意しました。つらい思いをさせたけれど、娘には元気にがんばってほしいと思っているそうです。

「長女はもう大人として対等に接していますから、これを機会に男を見る目を養ってほしい、私のように失敗しないでほしいと伝えました。元夫にはいい思い出がありませんが、それでも娘が授かったことだけは感謝しています」

離婚するのはしかたがありません。我慢して生活していても、ワカナさんが壊れてしまったかもしれないのですから。ただ、子どもに対する責任は明確にしておいたほうがよかった。そこが彼女の後悔している点だそうです。

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