はじめに
感染症も海を渡って新大陸へ
天然痘は旅人によってユーラシア大陸一帯に運ばれていきました。当時の旅行者は交易の商人のほか、巡礼者が中心でしたが、海を越えて日本へもやってきます。ようやく国がまとまりつつあった古墳時代後期の6世紀、大陸との行き来もさかんになっていました。交易だけでなく、日本から中国に朝貢が行われるなど外交関係者の往来もあったし、仏教などの文化も流入してきていました。そこに、天然痘も潜んでいたのです。
以降、歴史上の有名人も天然痘に感染していきます。かの伊達政宗が右目を失い「独眼竜」となったのは天然痘の後遺症が原因です。ほかにも鎌倉幕府3代将軍・源実朝、豊臣秀吉の三男・秀頼、東山天皇や孝明天皇も天然痘を患いました。作家・夏目漱石は3歳のときに天然痘にかかり、一命はとりとめたものの後年まで痕が残ったそうです。
こうして人類とともに長い年月をかけて天然痘は旅をし、ユーラシア大陸に定着したのです。そして、やはり人類につき従って、新大陸へと進出していきます。15世紀に始まった、大航海時代でした。かつてない旅と冒険の季節、天然痘はアメリカ大陸を目指すスペイン人たちによって大西洋を渡ります。
当時、中南米を支配していたアステカ、インカという二大帝国に対し、天然痘は猛威を振るいました。スペイン人たちは長い時間をかけて天然痘と共存し、ある程度の抵抗力を身につけていましたが、アメリカ大陸の人々はまったくの無防備、免疫力がなかったのです。
「遠い地から来た旅人が病をもたらし、彼らは無事なまま、我々だけを駆逐していく……」
それは感染症の知識を持たない人々にとっては、神を見るかのような宗教的体験にも等しかったでしょう。アステカやインカがやすやすと征服されたのは、軍事力の差もありましたが、それ以上に天然痘による国力・精神へのダメージが大きかったといわれています。
しかし天然痘は入植者たちをも容赦なく襲うようになります。北米ではアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンも感染しています。さらに第16代アメリカ大統領アブラハム・リンカーンも同様です。南北戦争の激戦地ゲティスバーグで、彼は天然痘による発熱で苦しみながら「人民の、人民による、人民のための政治を」と演説したのです。
感染症に人類の旅は止められない
およそ3000年をかけて、人類とともにあまねく世界に進出した天然痘ですが、その旅は終わりを迎えます。イギリスのエドワード・ジェンナーが18世紀末に開発した種痘が、天然痘を駆逐していったのです。
シルクロードは隊商や物資やマネーだけでなく、ウイルスも活発に行き来する道だった
その後ワクチンが世界的に広まり、1980年にWHO(世界保健機関)は天然痘の撲滅を宣言。現在、天然痘ウイルスはアメリカとロシアの研究所で厳重に保管されているのみとなりました。
天然痘が人から人に感染する病であることは、古代から知られてきました。だからといって人々は家に閉じこもるのではなく、交易をやめることもなく、リスクを恐れずに未知の土地へと旅し続けてきました。そのフロンティア・スピリットは、人類の本能のようなものかもしれません。
2020年のいま、コロナ・パンデミックによって私たちから「旅すること」が奪われています。しかし、ごく近いうちに人はまた歩みを再開するでしょう。それは感染症とつき合い続けてきた人類の歴史が証明しています。
連載【旅と感染症】では、ノンフィクション作家の室橋裕和氏がウイルスと旅の関連性について、さまざまな感染症を例に挙げながら読み解いていきます。