今年も間もなく年賀状のシーズンが到来します。年賀状といえば、欠かせないのがプリンターです。家庭用のシェアではエプソン、キヤノンが2強で、3番手がブラザー工業というのが国内市場の構図ですが、このブラザー、もともとはミシンメーカーです。

1970年代半ばくらいまでは、日常的にミシンを使い、家族の服を縫っているお母さんは珍しくありませんでした。しかし、高品質の既製品が安く手に入るようになると、一般家庭におけるミシンの需要は徐々に低下。今や日常的にミシンを使っている家庭は稀有な存在となっています。

それならブラザーも細々と作っているだけかというと、そうではありません。ミシン事業は今なお健在なのです。同社をはじめとした日本メーカーがつむいできた、ミシンの歴史と強みをひも解いてみましょう。


非アパレル分野で需要拡大

下のグラフは過去20年間のブラザーのミシン売上高の推移をまとめたものです。2016年度は前年度を下回っていますが、それでもリーマンショック後の落ち込みから完全に復活していることがわかります。

同年度のブラザーのグループ全体の売上高は6,411億円ですが、その1割強に当たる712億円がミシン事業の売上高です。

同社はミシン生産額で現在、世界2位。トップは日本のJUKIという会社です。JUKIは工業用が主力ですが、ブラザーは家庭用が6割、工業用が4割です。家庭用に強い蛇の目ミシン工業は世界4位。実は、日本はミシン大国なのです。

下のグラフは、過去20年間のJUKI、ブラザー、蛇の目のミシンの売上高を集計したものです。JUKIもリーマンショック後に大きく落ち込みましたが、今では復活しています。

では、一体どこで売れているのかというと、東南アジアを中心とする海外です。特に工業用の需要が大きく伸びています。カバンや靴、自動車のシート、ハンドルカバー。すべてミシンで縫って作ります。非アパレル分野で縫製需要は伸びているのです。

知られざる「日本ミシン史」

それでは欧米のミシンメーカーを差し置いて、日本がミシン大国になれたのはなぜでしょうか。一言でいえば、第2次世界大戦終了後にいち早く海外市場を押さえたから、ということのようです。

日本にミシンが上陸したのは1854年といわれています。篤姫の夫である13代将軍・徳川家定に、ペリーが献上したのが最初だそうです。開国とともに洋服の縫製需要が激増し、当時世界トップのミシンメーカーだった米シンガーミシンが上陸し、市場を席巻しました。

国産ミシンの誕生は年号が昭和になってからですが、戦争中は軍服の縫製需要が激増したことでミシンメーカーが育ち、戦後は武器製造からミシンに転換した企業も多かったようです。

外貨を稼ぐため、日本政府がミシンの輸出を奨励したのに対し、欧米のミシンメーカーは戦争中に軍需産業に転換しており、終戦後にミシン生産に回帰するのが遅れていたことが追い風になったそうです。

世界トップを維持してきた理由

とはいえ、それだけで長年トップメーカーの地位を維持し続けられるわけではありません。今も続く高シェアを支えているのは、その使い勝手の良さではないでしょうか。

50~60年前によく使われていたミシンは非電動の足踏み方式で、すぐ逆回転してブチブチ糸が切れていました。足踏み式に代わって登場した電動ミシンは当初、重量が30キログラムぐらいありましたが、1970~1980年代に一気に軽量化が進みました。

近年の家庭用ミシンは再び重くなっていますが、家庭用でありながら、かなり高度な機能を備えていて、しかも驚くほど操作が楽です。ブラザーのミシン担当の営業マンによれば、ありとあらゆるユーザーのわがままを解決するうちにそうなったのだそうです。

洋服を作るとなると、最低でも価格が4~5万円するミシンが必要ですが、直線縫いの袋など小物を作る程度なら、初心者向けの1万円以下のものでも十分、事足ります。この記事を読まれて気になった方は、世界のトップを走る技術力を試してみてはいかがでしょうか。