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休まなかった日本人“日曜休み”の先駆けは造幣局だった

日本の日曜日は外国産

日本人の生活の一部である休日は、なんと日本で誕生したわけではなかったのです。

ある人たちのおかげで、今の日本の概念があると言っても過言ではありません。日本は貨幣の製造技術と共に、いろいろな文化を取り入れていきました。


造幣局が先駆けた2つのこと

造幣局の開局は、1871(明治4)年、大阪にて。当時の日本には高度な貨幣製造技術はなく、多くの外国人技術者を雇います。

造幣首長のキンドル(元香港造幣局長)をはじめ、1889(明治22)年までに31名の外国人が雇用されました。当時、大政大臣つまり、今でいう総理大臣の月給が800円でしたが、首長のキンドルは1045円。いかに高待遇だったことがわかります。

現在の日本の労働環境では一般的になっていることで、造幣局が先駆けといわれるものが2つあります。

ひとつは出勤簿。今でいうタイムカードですね。造幣局では、開局当時から使用されていました(写真上)。

もうひとつが、日曜休日制。当時のお雇い外国人はキリスト教徒がほとんど。教会での礼拝をするために、日曜日は必ず休みを取っていたため、他の職員もそれにならうようになりました。それまで、お盆と正月ぐらいしか休みのなかった日本人に、日曜休日制が浸透する端緒となったのです。

造幣局では1871(明治4)年から日曜休日制を実施。他の官庁では、1876(明治9)年からなので、5年も早かったことになります。

フランス産の極印製造機

続いてお金の歴史をみていくと、造られ方も進化しています。

1904(明治37)年、造幣局がフランスから取り寄せた機械がこちら。

パンタグラフの原理を応用した「縮彫機」です。

原版をセットして動かすと、片方に取り付けられた鋼材の表面が実物の極印(貨幣を作る基になる金型)と同じ比率に縮小彫刻されます。コピー機の、“縮小印刷”をイメージすると、わかりやすいかもしれません。

この縮彫機が導入される前は手作業で極印を製造していたので、この機械の導入は革命的でした。微細な加工でも、精確に、かつ効率的に大量生産できるようになったのです。

造幣局さいたま支局
埼玉県さいたま市大宮区北袋町1-190-22、さいたま新都心駅から徒歩12分、9時〜16時30分(入館は16時まで)、入館無料、TEL:048-645-5899

文=佐藤成美(風来堂) 撮影(造幣局さいたま支局)=今田 壮(風来堂)

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