はじめに
2週間にわたって日本中の感動を呼んだ平昌オリンピックが閉幕しました。男子フィギュアスケートの羽生結弦選手・宇野昌磨選手による金銀独占、女子スピードスケートのメダルラッシュなど、多くの日本選手の活躍が皆さんに心に強く刻まれたことと思います。
中でも、女子カーリングのLS(ロコ・ソラーレ)北見チームが銅メダルを取るまでの試合の一投一投に、手に汗を握って応援した方も多いのではないでしょうか。かく言う私もその1人です。
北海道弁でコミュニケーションを取る、若く明るい女性チームに「そだねージャパン」というニックネームも付きました。実は、このLS北見チームの活躍には、ビジネスパーソンが学ぶべきたくさんの成功戦略が含まれているのです。
ベースにあった確かな技術の研鑽
カーリングは4人ずつの2チームが「ストーン」と呼ばれる石を交互に投げて滑らせ、約40メートル先の「ハウス」と呼ばれる円形の的を狙う競技です。「氷上のチェス」とも呼ばれ、15〜16世紀にイギリスのスコットランドで始まったといわれています。
今回の平昌オリンピックには、日本から男女とも出場を果たしましたが、中でも女子チームが最後の3位決定戦で、カーリング発祥の地であるイギリスを僅差で破り、銅メダルを獲得して大きな話題になりました。このそだねージャパンの活躍には、ビジネスパーソンが学ぶべき3つの成功戦略が見受けられます。
まずは「確かな技術とたゆまぬ研鑽」です。今回日本代表として出場したLS北見チームのメンバーはそれぞれ、子供の頃からカーリングに親しみ、長期間にわたって競技する中で高いスキルを身につけ、すでに日本代表としてオリンピックや国際大会での経験を積んできたメンバーです。
さらに豊富な練習量と国際大会への出場、そして現地入りしてからもストップウォッチを使って夜遅くまでストーンや氷のクセを確認するなど、メダル獲得の直前まで、油断することなくその高い技術を磨き続けていました。これが活躍のベースになっていることは間違いありません。
勝負強さを生んだ企業文化
2つ目の成功戦略は、彼女たちのどんな場面でも絶やさない「明るい笑顔」です。これはビジネスでは「企業文化」と言い換えてもいいかもしれません。
LS北見チームが銅メダルを獲得するまでは、決して平坦な道のりではありませんでした。もともとチームの結成は、トリノ五輪やバンクーバー五輪の日本代表となった「チーム青森」の主軸として活躍した本橋麻里選手が、五輪で思うように活躍できなかったという教訓から得た、「心から楽しんでカーリングをやりたい」という思いでした。
また、今回エースとして注目された藤澤五月選手や彼女を支えた吉田知那美選手も、LS北見に加入する前は、それぞれの以前の所属チームで、国内代表戦での敗北や戦力外通告などの挫折を味わっています。
こうしたメンバーの思いや経験から、そだねージャパンには、どんな場面でも明るく楽しく笑顔で自分たちらしいプレーをしようというチームカラーが徹底していたように思われます。
その「企業文化」は、銅メダルをかけた大舞台でもまったくブレることなく、むしろ劣勢にある時やプレッシャーのかかる勝負所でさらに強く発揮されていたようでした。チーム内のコミュニケーションを円滑に保ち、自分たちのプレッシャーを軽減しただけでなく、逆に相手チームに強いプレッシャーをかける形で作用していたように見られました。
こうした「ブレない企業文化」を持っていたからこそ、チームメンバーの気持ちが1つになり、勝負所で実力をいかんなく発揮できたのではないでしょうか。
巧みなコンセプトの発信
そして、巧みな広告戦略も見習うべき点でしょう。「カーリングで広告戦略?」と意外に思うかもしれませんが、今回のLS北見はさまざまなコンセプトを積極的に発信して、世間を味方につけることに成功しています。
たとえば、メンバー全員が北海道常呂町や北見市の出身で、各地で活躍していたメンバーを呼び戻して結成したという「地元愛」や「Uターン」、そして「地方からグローバルへの挑戦」というコンセプト。
上記のようなメンバーそれぞれのこれまでの活躍と挫折、それを乗り越えて新たな目標に向かって進むイメージ。藤澤選手というスタープレーヤーの勝負強さと魅力を前面に押し出して、多くのファンを獲得したことも、決して偶然ではないと思います。
こうした「広告戦略」によって、応援している私たちが、日本代表の彼女たちを少し遠い親戚か昔から知っている近所の女の子のように感じ、自分たちの言葉でチーム結成や彼女たちの挫折のストーリーを語り、テレビの前で正座をして応援しました。
ホンダやソニーに通じる成功戦略
私は、ホンダにおける本田宗一郎さんや、ソニーにおける盛田昭夫さんと井深大さんなどの立志伝と似ていると感じました。彼らが創業し、成功していくストーリーを誰もが知っていて、古くからの知り合いのように自分の言葉で語り、そして熱狂的にその会社を応援し、その商品を愛するのです。
チームを結成し、支えてきた本橋さんがこうした「広告戦略」をどの程度意識していたかはわかりません。ですが、この広告戦略の成功が、地元を味方につけ、資金や選手を集め、最終的に日本中を味方につけることになり、劣勢に立っても自分たちを見失わずに実力を発揮し、最後は僅差で勝利する大きな力になったはずです。
平昌オリンピックは、冬のオリンピックの日本チームとしては過去最多のメダルを獲得して終わりました。その中には、そだねージャパン以外にもさまざまなドラマが繰り広げられました。
成功した競技、うまくいかなかったチャレンジ、天候などの不運に見舞われた選手など、悲喜こもごものシーンが皆さんの心に残っていると思います。それらの1つ1つを企業の経営になぞらえて振り返ってみると、意外なヒントが見つかるかも知れません。