はじめに
米中通商問題の深刻化に対する懸念から、3月以降の世界の株式市場は大きな動揺を見せました。ただ、足元で中国が市場開放の方針を示したことで、安定を取り戻しつつあるように見受けられます。
とはいえ、米中間の貿易摩擦が完全に決着したわけではなく、事態は未だ現在進行形の状態にあります。本稿では、誤解を恐れず、最大限に想像力を働かせて、米中通商問題を前進させうる具体的な着地点を探ってみたいと思います。
タイムリミットは5月下旬?
中国による知的財産権の侵害を理由に、米国が最大600億ドル規模の中国製品に対して輸入関税の引き上げを表明したのが3月下旬。その直後に、中国が米国製品の輸入に対して、ほぼ同じ規模の報復関税発動を表明すると、今度は米国が関税引き上げの規模拡大をちらつかせ、米中間の貿易問題は泥沼化の様相を呈しています。
仕掛ける側の米国では、これから5月中旬にかけて、関連業界からのパブリックコメントを受け付け、修正作業に入る見通しです。最終的な制裁措置が決定された場合、それが実際に発動されるのは5月下旬、もしくは6月に入ってからと見られています。それと並行して、この間に米中間では水面下の交渉が進められると予想されます。
ドナルド・トランプ大統領による一連のアクションの動機は、一般的には今秋の中間選挙を念頭に置いたポイント稼ぎにあると理解されています。そのため、経済合理性の概念がまったく通用せず、それらしき着地点を見出せないことが、今回の問題をより複雑にしているように思います。
本格的な貿易戦争に突入していくのか否か、誰にも判断できないのが実情でしょう。そこでカギを握ると考えられるのは、米国が豊富な埋蔵量を持つエネルギー資源、「天然ガス」です。
天然ガスをめぐる米国の事情
2000年代に入ってからの、石油や天然ガスの大量生産を可能にした「シェール革命」は、米国のエネルギー事情を一変させました。すなわち、石油・天然ガスの対外依存度を大きく引き下げることが可能となったのです。
特にその影響は天然ガスのほうが大きく、米国内の消費量を大きく上回る生産体制が整うことになりました。天然ガスは文字通り「売るほど余りある」状況です。
シェール革命以前の米国では、将来的な天然ガスの供給不足に対応すべく、液化天然ガス(LNG)の輸入に備えて、各地で受け入れ施設が建設されました。しかし、シェール革命後は、そうした施設のほとんどが無用の長物となり、一部が液化施設の増設によって、輸出基地へと転換されつつあります。
2016年からは、そうした輸出施設からの米国産天然ガスの輸出が開始されていますが、規模はまだ小さなものにとどまっています。
中国がLNGを欲する2つの理由
それに対して中国では、今後も続く経済規模の拡大に伴って、エネルギー消費はさらに増加することが見込まれています。
これまでの中国では、エネルギー消費といえば石炭が主流で、それが深刻な環境被害をもたらしてきた側面も指摘できます。そのため、中国ではエネルギーの安定供給と環境問題の両立が、今後の成長に不可欠となっています。
こうした条件の下で、利用拡大が有力視されるのが天然ガスです。2016~2020年の中国のエネルギー政策を規定する13次5ヵ年計画においても、天然ガスの役割増大が明示されています。
実際、2017年のLNG取引で、中国は韓国を抜いて世界第2位の輸入国に躍り出た模様です。世界最大のLNG輸入国である日本とは、輸入量でまだ倍以上の開きがありますが、日本を追い抜くのは時間の問題と見られます。
ビジネスの拡大余地は数十倍?
こうした事情を踏まえると、米国から中国への天然ガス(LNG)の輸出は、両者の利害を一致させる有効な打開策になりえると考えます。
米国にしてみれば、LNGの輸出拡大は、対中国の貿易赤字削減を図るのに、一定の効果が期待できます。一方で中国は、国策として進めるエネルギーの「天然ガスシフト」に矛盾を生じさせずに、供給を確保できることになります。
トランプ大統領は昨年11月の訪中時に、LNG輸出大手の米シェニエール・エナジーのCEO(最高経営責任者)を帯同し、中国との間でLNG取引にかかわる覚書を交わすことに成功しました。そして、今年2月には同社と中国との間で、2043年にかけて年間120万トンの長期契約を締結するに至っています。これによって、米国は中国向けのLNG輸出で第一歩を踏み出すことになりました。
年間120万トンという規模は、現在の中国のLNG輸入量全体からすると、わずか数パーセントに過ぎません。しかし、それは裏を返せば、中国とのLNGビジネスのポテンシャルが非常に大きいことを意味しています。中国のLNG需要次第では、将来的に数十倍の規模に拡大する可能性もあるでしょう。
LNG輸出拡大なら選挙にも追い風
また、米国にとってのLNG輸出の意義は、対中国の貿易赤字削減にとどまりません。米国は天然ガス資源に恵まれているものの、輸出基地(液化施設)が十分に備わっていないのが実情です。もともと、輸出を想定していなかったために、当然といえば当然ですが、今後は膨大な量の天然ガスの輸出を可能にするために、基地建設の投資が必要となります。
パイプライン敷設から港湾整備、さらに液化施設の建設に至るまでの輸出インフラの整備には、1つのプロジェクトで兆円単位の投資が必要となることもあります。
トランプ大統領は、就任当初からインフラ投資拡大を主要政策の1つに掲げていますが、こうしたLNGの輸出積極化は、選挙公約を果たすうえでも理に適うものといえます。また、それは共和党の有力な支持母体である米エネルギー業界に対する配慮という面でも合理的です。
以上で指摘したシナリオはあくまでも私見であり、想像の域を出ませんが、中国向けLNG輸出拡大の発想は、米中貿易改善の切り札になる可能性もあると見ています。「天然ガス」を1つのキーワードとして注目しつつ、米中貿易摩擦の収束に向けた今後の取り組みを見守りたいところです。
(文:大和証券 投資情報部 チーフ グローバル ストラテジスト 壁谷洋和)