はじめに
5月に入り、ドル円相場は一時1ドル=111円台まで円安ドル高が進んでいます。この動きは円ではなく、ドル主導といってよいでしょう。つまり、ドル全面高という環境下で他の通貨同様、円が売られたという解釈が腑に落ちます。
では、ドルが買われた理由ですが、単純に“金利差”と見るべきでしょう。3月29日、麻生太郎財務相は国会の答弁で、「これまでの歴史を見ると、米国との金利差が3%に達すると、必ずドル高円安に振れる。例外は1つもない」との見解を示しました。そうした状況が具現化しつつあるようです。
金利面では米国が一人勝ち
米国の金利先高観は今さら説明するまでもありませんが、これまでドル弱気派は米国に追随して金融引き締め姿勢を鮮明にする国が現れ、ドルの金利面での優位性が減衰するシナリオを描いていたに違いありません。
ところが今年に入ってから、カナダ銀行(中央銀行)が1月に0.25%の利上げを決定した以外、他の主要国が追随する様子は見られません。正直、米国の金利面での優位性が当面揺らぎそうもないことから、ドル売り戦略の見直しを迫られた市場参加者も少なくないと見られます。
こうした中、米10年国債利回りは3%の大台に違和感がなくなってきた印象です。長期金利の水準が切り上がった背景として、米国のファンダメンタルズの強さが根底にあることは疑いがないでしょう。
つまり、税制改革の効果が徐々に表れ始める中、米国経済はやはり強いということを市場が再認識していると見られます。原油高によるインフレ懸念と相まって、米国の長期金利はしばらく低下しにくい状況が続くのではないでしょうか。
一方、日本に目を向けると、今年の年初に台頭した日本銀行の緩和縮小観測が今ではすっかり萎みました。その結果、円は米長期金利上昇に対して最も脆弱な通貨の1つとなっています。
実需は円安を支援
もちろん、金利差だけでドル円相場を説明できません。円安の進捗には、それ以外の要素も当然あります。実需の動向です。
5月8日、武田薬品工業はシャイアー(アイルランド)買収で同社と合意したと正式に発表。日本円にして約6兆8,000億円と、日本企業としては過去最大の買収額となりました。また翌9日には、リクルートホールディングスが米国企業を12億ドルで取得することを明らかにしています。
海外M&A絡みの円売りがいつ現れるかはわかりません。また、買収額がそのまま外貨買いとならないケースも普通です。しかしながら、潜在的な円売り需要として意識しないわけにはいきません。特に武田薬品の場合は買収額が巨額だけにこの先、長い期間にわたって円売り需要が続く可能性も否定できません。
一方、実需という意味では、日本の多額の経常黒字が円高を支援してきたのは確かです。ただし、この先を見通した場合、経常黒字は減少基調をたどることが予想されます。
背景は原油高です。日本の場合、特に東日本大震災以降、電力用の化石燃料の輸入量が増加したため、エネルギー価格上昇による貿易収支の悪化効果が大きいといえます。海外への投資から得られる第一次所得収支が膨大な黒字であるため、経常赤字に転落する可能性は低いものの、貿易収支の悪化が経常黒字額を減少させるでしょう。
前述の海外M&A(対外直接投資)を加味した実需のバランスは今後、資金流出超、すなわち円売り超になっていくのではないでしょうか。
「バーナンキ・ショック」の再来は想定せず
さて、米長期金利の上昇に話を戻すと、そこに潜むリスクを無視するわけにはいきません。「米長期金利上昇=新興国からの資金流出」との連想から、足元では新興国通貨にストレスがかかっています。
米国を震源とする新興国の動揺でよく引き合いに出されるのは、2013年の「バーナンキ・ショック」です。当時の米FRB(連邦準備制度理事会)議長だったベン・バーナンキ氏が唐突に量的緩和第3弾(QE3)を縮小する可能性に言及したことで、米長期金利が急騰。一方で、株式などリスク資産の価格は急落しました。
もっとも、バーナンキ・ショックと、足元で進む新興国通貨安を同列に扱うのは乱暴でしょう。当時は、予想もしなかった米長期金利の上昇に直面し、市場がパニックに陥ったのに対し、現状の米長期金利の上昇は秩序立っています。したがって、突然、思い出したように新興国通貨が売られるのは、おかしな話です。
しかも、バーナンキ・ショック時と比べ、経常収支などのファンダメンタルズが改善している国も多く、脆弱性を理由にした通貨売りに説得力は感じられません。アルゼンチンやトルコなど一部にリスクを孕んだ国もありますが、新興国全体に危機が波及することは考えがたいものがあります。新興国通貨に対する過剰な悲観は不要でしょう。
(文:大和証券 投資情報部 シニア為替ストラテジスト 石月幸雄 写真:ロイター/アフロ)