はじめに

記録的な猛暑に見舞われた今夏の日本。緯度の高い英国も連日グングンと気温が上がり、「霧の都」などと称される首都・ロンドンでも連日、強い日差しが照りつけました。

世界最古の地下鉄はサウナのような蒸し暑さ。冷房の設置されていない路線が多いためです。“ロンドナー(ロンドンに住む人の呼称)”には厳しい夏となりましたが、理由は猛暑だけではありません。


ロンドナーを揺さぶる前外相の発言

8月上旬に訪れたロンドンで、猛暑とともに地元メディアをにぎわせていたのが、同国のボリス・ジョンソン前外相の投稿記事をめぐる話題です。

欧州連合(EU)に懐疑的な論調の日刊紙「ザ・デイリー・テレグラフ」の6日付紙面のコラムで、同氏はイスラム教徒の女性が着用する、ほぼ全身を黒いヴェールで覆った「ブルカ」や「ニカブ」を「郵便ポスト」「銀行強盗のよう」と表現。これに対して、同氏の所属する与党・保守党内からテリーザ・メイ首相をはじめ、謝罪を求める声が相次ぎました。

ジョンソン氏はブレグジット(英国のEU離脱)の問題で、「対EU強硬派」に位置付けられる政治家の1人です。かつてはロンドン市長を務め、ブレグジットの是非を問うた2016年6月の国民投票では、離脱支持派のリーダー的存在でした。

ブレグジット決定直後に誕生したメイ政権で外相の座に就きましたが、EUとのブレグジットをめぐる交渉でのメイ首相の対応に抗議する形で辞任。「ブレグジットの夢は死にかけている」などと同首相の“EU寄り”の姿勢を痛烈に批判しました。

合意なき離脱の確率は60%?

ロンドン市長時代には「ボリス」とファーストネームで呼ばれるなど多くの市民に親しまれていましたが、一方で、ジョンソン氏の型破りな言動が物議を醸すことも少なくありません。ボサボサの金髪がトレードマークにされていることもあって、「英国のトランプ」などとも形容されます。

ジョンソン氏の辞任直前には、対EU強硬派だったデービッド・デービスEU離脱担当相(当時)も首相のEU政策の舵取りに反発して辞任しています。

閣僚の1人で同じく離脱賛成派のリアム・フォックス貿易相からは「合意なき離脱(ノー・ディール・ブレグジット)に至る確率は60%。EUの非協力的な態度が交渉を決裂に向かわせている」との発言が飛び出しました。

EUとの離脱交渉をめぐる党内の穏健派と強硬派の対立は、一段と激しさを増している感があります。ジョンソン氏のコラムに対して擁護する保守党議員がいるなど、内部が一枚岩になっていません。今回のコラム問題はメイ首相の党内での求心力低下を象徴する出来事ともいえそうです。

最大の障害は北アイルランド

ブレグジットは2019年3月29日。英国はこの時点でEU加盟国から自動的に離脱します。「離脱後の英国がいったいどうなるのか、まったくわからない」。多くのロンドナーがそう口をそろえます。

というのも、英国とEUの交渉が難航しているからです。英国議会やEU理事会での批准手続きなどを考慮すると、英国・EU間の最終合意の実質期限は今年の10月あるいは11月とされています。が、それまでに両者の交渉担当者が笑顔で握手できるかは極めて微妙です。

両者は激変緩和措置として2020年末まで英国がEUの関税同盟にとどまるという「移行期間」を設けることで暫定合意に達しましたが、未解決の事案が残されたままだと、この合意も白紙になってしまいます。

交渉で最大の障害とされているのが、英領の北アイルランドと、陸続きでEUの一員であるアイルランドの国境管理の問題です。英国の正式名称は「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」。グレートブリテン島全体と、アイリッシュ海を隔てて西に位置するアイルランド島北側の「北アイルランド」などから構成されています。

「人・モノ・カネ・サービスの自由な往来」がEUの基本理念。約500キロメートルに及ぶアイルランドの両国間国境にも現在、物理的な壁や検問所などがまったく存在しません。

EU側は、離脱後も国境を目に見えないままにして北アイルランドをEUの関税同盟に残留させるという「バックストップ・オプション」を提案。これに対して、「北アイルランドだけを特別扱いすれば、アイリッシュ海に関税の壁を築くことになり、到底、受け入れられない」というのが英国側の立場です。

英国は代案として、両者共通のルールに基づいてモノの移動を事実上自由にする「自由貿易圏構想」などを打ち出しましたが、「いいとこ取りは許さない」との姿勢を貫くEU側がこれを受け入れるかは流動的です。

現実味を増すハードブレグジット

タイムリミットまで残り2~3ヵ月となり、英国国民も両者の交渉の行方を不安視しています。「英国側にはさらなる妥協が必要」。ロンドンに住む年配の女性はそう話します。

交渉が難しい局面を迎えているだけに、メイ首相の政権基盤の脆弱化は国民の不安をさらに助長するおそれがあります。足元が揺らげば、EUとの話し合いどころでなくなるかもしれません。

ロンドンでは国民投票の再実施を望む声も聞かれますが、はたして国民にEU残留のメリットやデメリットを丹念に説明する時間の余裕はあるのでしょうか。「時間切れでハードブレグジット」とのシナリオが現実味を増すようだと、世界の金融市場に大きな波乱をもたらす可能性も否定できません。

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