はじめに

産業革命は18世紀のイギリスで始まりました。

ここでいくつかの疑問が湧きます。なぜ、それはイギリスで始まったのか? なぜ(日本から見れば)文化的に似ている隣国フランスやオランダ、ドイツではなかったのか?15世紀までは人類の科学文明のトップを走ってきたはずの中国ではなく、ヨーロッパの辺境の島国だったのか?

本連載では以前にも同じテーマで記事を書きましたが、やや駆け足だったと反省しています。もう一度、じっくりと考えてみましょう。「なぜ産業革命はイギリスで始まったのか?」

この疑問に答えるには、まず産業革命がどういう現象であるのかを理解する必要があります。


技術革新が連鎖するようになった

世界最古の蒸気機関は、西暦100年ごろのアレクサンドリアにあったとされています。「ヘロンの動力機」と呼ばれるそれは、蒸気の噴き出す勢いで中央の球体を回転させる、一種の蒸気タービンでした。

実のところ、この装置が実在したかどうかは判っていません。が、蒸気から動力を得られるということを当時の人々はすでに知っていたのです[1]。しかし古代アレクサンドリアでは、産業革命は始まりませんでした。

1589年、ウィリアム・リーというイングランドの司教が自動靴下編み機を発明しました。彼は特許を得るために意気揚々とロンドンへ出向き、エリザベス1世と謁見します。ところが、女王の対応はけんもほろろでした。靴下職人から仕事を奪うとして、靴下編み機の事業化を許されなかったのです[2]。イングランドで産業革命が始まるのは、それから1世紀以上も後のことです。

これらの例から分かるのは、優れた発見や発明があるだけでは世界は変わらないということです。その発見や発明が広く使われるようになり、さらに新たな発見と発明の土台となって、ようやく世界は変わります。産業革命以前の世界にも、技術革新はありました。しかしそれらは散発的で、科学技術と経済の発展は遅々として進みませんでした。

ここに、産業革命前後の世界の一番の違いがあります。

現代では、多くの企業の帳簿に「研究開発費」という勘定科目が登場します。優れた技術革新がお金になるからこそ、企業はそれに費用を割くのです。また現代では、多くの学生が理系の道を志します。かつては科学を学んでも、せいぜい見世物小屋を盛り上げる装置を作るとか、星占いの精度を高めるぐらいしか使い道がありませんでした。

しかし現代では、優れた発見や発明をすれば富と名声を得られます。技術革新がお金になることに人類はようやく気付きました。だからこそ、それに資金と労力を投じて、さらなる技術革新が起きるようになりました。この「技術革新の連鎖」こそが産業革命という現象を定義づけるものです。

そして、この連鎖がいち早く始まったのがイギリスでした。

文化や法制度は技術革新の「供給面」しか説明できない

イギリスから産業革命が始まった理由について、もっとも有名な仮説はマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に書かれたものでしょう。

宗教改革を経てプロテスタントが根付いた国々では、人々はカトリックのような迷信と魔術から解放されて、近代的合理主義を身につけました。さらにプロテスタントは勤勉を是とし、職業を通じた利潤追求を肯定しました。こうした文化的背景が産業革命をもたらしたというのです。

ヴェーバーの仮説は実証性に乏しく、現在では歴史家や経済学者からはほぼ否定されています[3]。ここで思い出して欲しいのは、産業革命は18世紀半ばからおよそ1世紀という長い時間がかかったことです。プロテスタントの行動や習慣があったから産業革命が起きたのか、それとも産業革命の進行にともなってそういう行動や習慣が醸成されたのか、よく分からないのです。

現在の日本は(中国を除けば)世界第二位の経済規模を誇る「資本主義国」です。しかし日本はプロテスタントの国ではありません。「スピリチュアル」や「パワースポット」が流行るところを見ると、私たちが迷信や魔術から解放されているかどうかも疑問です。プロテスタンティズムだけは資本主義の成立や産業革命の始まりを説明できないのです。

経済史家グレゴリー・クラークは16世紀以降のイングランドの遺言状を調べ、より豊かな男性のほうがよりたくさんの子供を残していることを突き止めました[4]。つまり時代が進むにつれて最貧層の子孫はいなくなり、かつての上流階級や中流階級の子孫が人口の大多数を占めるようになったはずです。

これにより識字能力や計算能力などの文化資本が社会全体に浸透し、産業革命の土台となったとクラークは主張しています[5]。クラーク本人は明言していませんが、おそらく遺伝的な影響によって人々の「天性」が変わったという発想も頭の片隅にはあったでしょう[6]。

これに対して、政治経済学者ダロン・アセモグルとジェイムズ・A・ロビンソンは、文化や遺伝ではなく「制度」こそが重要だと主張しています。そのもっとも分かりやすい例は、現代の朝鮮半島です[7]。

今でこそ文化的にかなり離れてしまった韓国と北朝鮮ですが、もとは同じ言語と文字を持つ共通の民族であり、遺伝的に大きな違いがあるとは考えられません。にもかかわらず、38度線の南側は産業化を果たして経済的繁栄を謳歌している一方、北側は飢餓や貧困に悩まされています。

たとえば私有財産権が認められていなければ、人々は積極的に稼ごうとはしません。どんなに儲けを出しても、権力者にそれを奪われてしまうからです。発明をしようとも考えないでしょう。発明家を奮い立たせるには、彼らに利益を与える特許制度も重要です。そして、それらのルールを人々に守らせる中央集権的な国家が必要不可欠になります。

これらの制度のパッケージをまとめて、アセモグルらは「包括的政治制度」と呼んでいます。包括的政治制度のもとでなければ、継続的な経済発展――つまりは技術革新の連鎖――は生じないというのです。もしも彼らの仮説が正しいとしたら、イギリスは世界で最初にそういう政治制度に到達できたことになります。

産業革命が起きた理由について、歴史研究家ウィリアム・バーンスタインは網羅的な仮説を提唱しています。彼は、技術革新の連鎖が生じるには以下4つの要素が欠かせないとしています。すなわち、「私有財産権」「科学的合理主義」「資本市場」「迅速で効率的な通信・輸送手段」です[8]。

第3章で紹介した通り、ロンドンやアムステルダムでは産業革命以前から資本市場が発達していました。バーンスタインの仮説はその歴史的経緯を踏まえています。また、通信・輸送手段に着目しているのは慧眼です。科学ジャーナリストのマット・リドレーは『繁栄』という著書で、物とアイディアの交換こそが人類を豊かにしたと主張しています[9]。バーンスタインの仮説は、リドレーの考え方にも繋がります。そういう「交換」を成り立たせるには、運河の整備された都市や、手紙を確実に届けられる通信手段が欠かせません。

しかしバーンスタインの仮説も万全ではありません。彼は、この4つの要素が最初に揃ったのはオランダだとしています[10]。つまり彼の仮説は、産業革命が生じるのに必要な条件を並べているだけで、「なぜイギリスだったのか」「なぜ18世紀だったのか」という疑問には答えられないのです。

このように産業革命の原因にはたくさんの仮説があり、ここで紹介したものは氷山の一角です。議会制民主主義の重要性や、結婚制度の違いに着目する論者もいます。

私見ですが、これらの仮説の多くは相互排他ではないと考えています。つまり、どれか一つの仮説が正しいからといって、即座に他の仮説が否定されるわけではない。どの仮説にも少しずつ真実が含まれているのでしょう。

ただし、産業革命の原因を文化や法制度に求める仮説では、技術革新の「供給面」しか説明できません。たしかに私有財産権が認められれば、人々はより多くの儲けを出そうとするでしょう。発明もするでしょう。しかし、そうやってもたらされた技術革新が、実際に広く使われなければ意味がありません。

産業革命が生じた原因を理解するには、なぜ人々が現代のように技術革新を必要とするようになったのかを――言い換えれば、技術革新の「需要面」を解明しなければならないのです。

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