生活

続・なぜ産業革命はイギリスから始まったのか?

簿記の歴史物語 第35回

高賃金と燃料費の安さがイギリスに産業革命をもたらした

技術革新の「需要面」について、経済史家ロバート・C・アレンは見事なモデルを用いて説明しています[11]。18世紀のイギリスは、世界でもっとも賃金が高く、燃料費の安い地域でした。だからこそ技術革新への需要が生まれたというのです。

たとえば世界で初めて実用化された蒸気機関は、トマス・ニューコメンの揚水ポンプです。これは1712年にダドリーの炭鉱で稼働を開始しました。それまで人間や家畜の力で行っていた坑内の排水を、蒸気機関で行えるようになったのです。

繊維業界に目を向ければ、1764年ごろにジェームズ・ハーグリーヴスが発明した「ジェニー紡績機」は破壊的な技術革新でした。それまでの手紡ぎ車では1本ずつしか作れなかった糸を、一度に8本以上も作れるようになったのです。ジェニー紡績機は改良が重ねられ、一度に紡げる糸の本数は12本、24本と増えました。この機械に仕事を奪われることを恐れた人々により、ハーグリーヴスの工場はたびたび襲撃を受けました[12]。(※18世紀に流行った機械の打ち壊し運動のことを「ラッダイト運動」と呼びます)

1769年に特許を得たリチャード・アークライトの「水力紡績機」も外せません。これは、それまで人の手で行っていた「綿の繊維を伸ばす動作」を、圧延ローラーによって再現した装置です。文字通り、水車を動力源としていました。産業革命以前の世界では、水車は安定した回転力を得るほぼ唯一の手段でした。これは後にニューコメンの蒸気機関と組み合わされます。揚水ポンプで高い場所にある溜め池に水を送り、そこから流れ落ちる川で水車を回したのです[13]。

これら産業革命初期の発明品には「労働を機械に置き換える」という共通点があります。「人件費を資本に置き換える」と言ってもいいでしょう。当時のイギリスは高賃金だったために、労働を節約することで利益が出せたのです。

画像出典:ロバート・C・アレン『世界史のなかの産業革命』名古屋大学出版会(2017年)p38

ジェニー紡績機は女性1人で動かせる装置であり、高価な機械装置だとは見なされない傾向があります。しかし当時の遺産目録によれば、24紡錘のジェニー紡績機は70シリングであるのに対し、旧来の手紡ぎ車は1シリング以下でした[14]。

糸を生産する際には原料である綿花のほかに、手紡ぎ車のような道具を用意するための資本と、労働者を雇うための人件費が必要です。同じ量の糸を紡ぐときに必要な資本と人件費の比率を考えた場合、ジェニー紡績機を利用すると人件費の比率が70分の1以下になるといえます。人件費を大幅に節約できたのです。

加えて、燃料費の安さもイギリスに味方しました。現代の水準から見ればニューコメンの蒸気機関は燃費が劣悪で、1馬力1時間あたり45ポンド(約20・4キログラム)もの石炭を消費しました[15]。まともな燃料費の場所では使い物にならないシロモノだったのです。

しかし、イギリスは18世紀までに大規模な石炭産業を発達させた唯一の国であり、炭鉱の周辺では、売り物にならないくず炭をただ同然で入手できました。燃費の悪い蒸気機関でも利益を出せる唯一の地域――それがイギリスでした。ここから、ヨーロッパの他国や日本、あるいは古代アレクサンドリアや15世紀の中国で産業革命が始まらなかった理由を説明できます。

石炭産業が未発達で燃料が高価な地域では、蒸気機関を使っても利益を出せません。金利が高かったり、資本市場が発達していない――つまり、資本の調達コストが高い――地域では、資本の利用を増やすことができません。たとえ安価な燃料と資本市場が存在しても、賃金水準が安ければ、労働を機械に置き換えるインセンティブが生じません。

資本市場の成熟度でいえば、当時のオランダも後れを取っていませんでした。対するイギリスの特徴は石炭の安さと、そして何よりも賃金の高さでした。これらの要素が揃ったからこそ、技術革新に投資することで利益を出せるようになり、産業革命が始まったのです。

では、なぜ18世紀のイギリスは、世界でもっとも高賃金かつ燃料費の安い地域になりえたのでしょうか?

次回の更新では、そこに至るまでの過程を追いかけましょう。

物語の始まりは14世紀に遡ります――。

■主要参考文献■
[1]ウィリアム・バーンスタイン『「豊かさ」の誕生』日経ビジネス人文庫(2015年)上p285-287
[2]ダロン・アセモルグ&ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』ハヤカワノンフィクション文庫(2016年)上p301-302
[3]ロバート・C・アレン『世界史のなかの産業革命』名古屋大学出版会(2017年)p8
[4]グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』日経BP社(2009年)下p160-161
[5]グレゴリー・クラーク(2009年)下p108
[6]ニコラス・ウェイド『人類のやっかいな遺産』晶文社(2016年)p193-205
[7]ダロン・アセモルグ&ジェイムズ・A・ロビンソン(2016年)上p135-139
[8]ウィリアム・バーンスタイン(2015年)p40-42
[9]マット・リドレー『繁栄』早川書房(2010年)上p19-22
[10]ウィリアム・バーンスタイン(2015年)上p22
[11]ロバート・C・アレン(2017年)p171-176
[12]ロバート・C・アレン(2017年)p217
[13]ロバート・C・アレン(2017年)p193
[14]ロバート・C・アレン(2017年)p218
[15]ロバート・C・アレン(2017年)p186

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