はじめに
離婚すれば夫婦は他人です。でも親子の縁は切れないはず。ただ、相手に新しい家庭ができれば、前の家庭でできた子に対しては関心をなくしてしまう。悲しいけれど、そんなこともあるようです。
夫のモラハラに耐えかねて離婚
下町の大家族で賑やかに育ったワカナさん(45歳)。三人きょうだいに祖父母や伯父まで同居していたそうです。
「仲がいい家族というわけではありませんでしたが、いつもいろいろな人が出入りしていました。私は長子だったので人慣れしていたところはあると思います」
そんな彼女が憧れたのは、「ちょっとハイソでアカデミックな家庭」でした。大学を出て就職した会社で出会った8歳年上の先輩が、そんな家庭で育った人。母親は習字の先生、父は大学教授、親戚も大学の教員や弁護士などが並んでいたそうです。
「彼とつきあうようになったとき、お母さまから能の鑑賞にご招待されて、いやあ、世界が違うわあと思いながらも興味津々でした。カルチャーショックを覚えるというよりは、新しい世界に前のめりになりました」
そのお母さまに気に入られ、24歳のときに結婚しましたが、それからが大変だったといいます。
「彼は次男で、実家近くにすでにマンションを持っていたんです。私は退職して専業主婦に。家でも料理はしていましたから、そこそこできるんですが、彼に言わせると『うちと味が違う。下品な味だ』と。傷つきましたけど、めげてもいられない。そこでお姑さんに彼の家の料理を習いました」
洗濯も掃除も、彼は常に「うちと違う」と言い、そのたびに姑に教えを請いました。彼の家になじむよう、ワカナさんは必死だったのです。
子どもが生まれて
「26歳で長女を産んだとき、夫は『女か』とひと言。そのとき、この結婚、間違っていたかもしれないと思ったんですよね。ただ、娘が1歳くらいになると夫もさすがにかわいいと思ったようで、その様子を見て、まだ結婚生活を続けられるかもと思ったり。揺れながら生きていましたね」
28歳のとき次女が産まれたが、このとき夫が病院に来たのは2日後でした。また女と聞いたから、というのがその理由。ワカナさんは再度、地獄の底に突き落とされたような気持ちになったそうです。
「それからの生活は、ほぼ母子家庭みたいなものでした。夫は帰宅が遅いか帰ってこないかのどちらか。家族と接触しなくなったんです。どうやらその頃から浮気を繰り返していたようですね」
酔って帰って、無理やり押したおされたこともありました。次女が泣き出し、その声を聞きながら夫を受け入れたせつなさは、今も忘れられないといいます。