はじめに
家族のせいで、今もひとりで
母親は、アリスさんが残業だと言っても夕飯はいらないと言っても、食事の支度をして待っています。そして帰ってくるまで寝ずに待っているのです。
「なんだかそうやって待たれているのがプレッシャーというか。もっとはっきり言うと気持ちが悪かったし怖かった。私はこうやって家族に取り込まれていくんだと思って」
弟は外泊が続いたり、突然帰ってきたり。レコーディングができるかもしれない、新しい機材さえあれば成功するのにと言っては、彼女に頻繁にお金の無心をしてきます。
「もう疲れた、何もかも投げ出してラクになりたい。何度そう思ったかわかりません。弟にお金を渡すために、会社にナイショでスナックでバイトをしていた時期もあります」
そして3年前、弟は突然、「音楽の武者修行をしてくる」と書き置きを残して行方がわからなくなりました。弟の友人によれば、関西方面に行ったらしいというのですが、電話もつながらず連絡がとれません。
「私は実はホッとしたところもあります。弟はどこかで元気にやっていると思うし。ただ、母がね……」
母は溺愛していた弟がいなくなったのがショックだったのか、まだ65歳なのにすっかり老け込んでしまっているそう。
「それでもいまだに毎日、私の食事を用意して待っています。残る頼りは私だけだと思っているんでしょうね。『あんたはいなくならないでね』と泣くこともある。家族のためにずっと自分を犠牲にしてきて、いつまでこれが続くのかとうんざりします」
それでも仕事に行かなければ食べていくことができません。弟にお金がかからなくなった分、一生懸命ためていますが、ときおり母親がわけのわからないものを買ってしまうのが腹立たしいと彼女は言います。
「運が開ける赤富士の絵とか(笑)。笑っちゃうけど笑い事じゃないんですよね。そういうのに騙されてどうするんだ、しっかりしてよと言うんですが」
考えてみれば、母親も自分の人生を振り返って「私の人生、何だったんだろう」と思っているのかもしれません。
自分の人生を生きてこれなかった
つい最近、母の様子に疑念を抱いたので病院に連れていったところ、軽い認知症の症状が見られるとわかったそうです。アリスさんは今後のことを考え、母の後見人になれるかどうか弁護士に相談しています。
「私も私の人生、何だったんだろうと思わずにすむよう、今から母亡き後を視野に入れています。冷たいかもしれないけど、母がいなくなってからようやく私の人生が始まるような気がするんです」
行きたいところにも行かず、流行のファッションも追わず、ひたすら家族のために働いてきた彼女、それでも最後に明るくこう言いました。
「生涯で1度は結婚したいと思うし」
自分の人生を自分のために生きてこられなかったのに、彼女の目はまっすぐで、まだまだこれからも母のためにがんばってしまうのだろうなと思わざるを得ませんでした。