はじめに

60年以上前に誕生した史上初のスーパーカー、ジャガーXKSSをわずか9台ですが復活再生産するというプロジェクトが4年前にありました。その復活劇を記録したドキュメント番組「蘇る伝説の名車・ジャガーXKSS」をNHKのBS放送で観て、当時の興奮が蘇りました。

ちょうどその日は、我が家の狭いガレージに試乗用としてお借りしていた、最新の現役スーパーカー、ランボルギーニ・ウラカンEVOスパイダーが収まっていました。新旧のスーパーカーに触れながら、速いクルマは美しいと言われる、その理由に思いを馳せる夜となったのです。


世界中の金持ちが狙った名車

この伝説の名車、ジャガーXKSSの復活劇は2016年に行われた特別プロジェクトです。まずはそのあらまし、そしてXKSSというクルマについてお話ししましょう。イギリスの自動車メーカーのジャガーですが、1922年に設立された伝統あるメーカーです。その後、順調に成長し、1950年代には、あの世界一過酷と言われる耐久レース「ル・マン24時間レース(以下、ル・マン)」を何度も制覇し、スポーツカーメーカーとしても世界の憧れとなっていたのです。

ベースとなったのは1950年代中盤にル・マンで活躍した伝説のレーシングカー、Dタイプ

その活躍の主役がジャガーCタイプ、その後継車であるDタイプというクルマでした。とくに1955年、1956年とル・マンで連勝したDタイプはメルセデスやフェラーリにも負けない完璧なレーシングカーとして、多くの注目を集め“ジャガーは無敵”といったイメージを作り上げました。ル・マンの6キロにわたる直線路、ユノディエールでは時速308km/hという、当時の最高速記録も樹立しています。

当然、ジャガーも、この実績をビジネスに繋げようと考え、レーシングマシンであるDタイプを一般用に販売しました。その数は100台と言われていたのですが、さすがにすべてを売り切ることが出来ず、25台は売れ残ってしまったそうです。そこでジャガーは“一般道を走れるように改造して売り切ってしまおう”と考えました。レーシングカーとしての中身は大きく変えないまま、大型ウインドスクリーン(フロントガラス)にサイドウインドウ、ソフトトップの折りたたみ式の屋根、バンパーなどの公道を走るために必要なパーツをDタイプに取り付け、1957年に完成したのがXKSSだったのです。発売当時、1350万ポンドという価格でした。

運転席後方の膨らみを取り去り、フロントガラスやサイドスクリーンなどを装備して公道用に改装

現在のレートで計算しても約18億円。当時の貨幣価値で考えれば100億円は超えるかも知れません。それでもこの世紀の限定車、XKSSは世界中のお金持ちによってあっと言う間に売り切れたそうです。ところが、25台の内の16台が製造され、あと残すところ北米向けの9台の生産を行えば、というところでジャガーのミッドランドにあるブラウンズレーン工場が火事で全焼してしまいました。工員のたばこの火の不始末が原因とも言われ、一瞬の出来事だったのです。そしてこの工場で生産途中の車両が300台ほど焼けてしまったのです。

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