はじめに

フリーススタイルドアの原点

さて、このフリースタイルドアですが、以前にもマツダにはRX-8というスポーツカーに採用されていました。実はこのRX-8、マツダにとって技術的な象徴のひとつ、ロータリーエンジンを存続させるために計画されたスポーツカーでした。

ここから少しマニアックになります。このRX-8が登場する前に、1991年から2003年までRX-7(3代目)というロータリーエンジンを搭載したスポーツカーがあり、世界中のスポーツカーファンに愛されていました。

RX-8にも独特の華やかさがあります

しかし、21世紀に入ると日本国内市場だけでなく、スポーツカーにとって重要なマーケットの北米でもスポーツカーの需要が低下しました。さらにはロータリーエンジンの環境対策への技術的な行き詰まりなども重なり、2002年に生産を終了となりました。すでにこの時点でマツダはフォード傘下でしたから、ロータリーエンジンの命脈はフォード上層部の意向により、ここで途切れることに、ひとまずはなったのです。

ところがマツダの社員にとってロータリーエンジンを失うことは精神的支柱のひとつをなくすも当然であり、多くの社員の喪失感は相当に大きかったそうです。そこで、まさに直談判の形で多くのエンジニア達が辛抱強くロータリー存続を願い出ました。すると当時の開発担当役員のマーティン・リーチ氏、そして97年にマツダの社長となったフォード出身のジェームズ・イー・ミラー氏など、上層部から、こんな条件が出たそうです。

「ロータリーを使用することはいいでしょう。ただし4ドアが条件です。4ドアで目標とするスポーツカーを実現してください」と指示されたのです。当然、当時のエンジニアたち、とくにそれまでRX-7という一級品のピュアスポーツに携わってきた人たちにしてみれば「そんなものはスポーツカーじゃない」となりました。

しかし、それを飲まなければロータリーエンジンの存続に暗雲が立ちこめることも、また真実だったのです。
では、なぜ上層部は4ドアスポーツというスタイルを厳命したのでしょうか? 

そこには「これまでのニッチなピュアスポーツセグメントでなく、スポーツ志向のあるセダン層を狙う。スポーツカーをコアビジネスとして成立させましょう」という理由があったようです。当時のマツダの厳しい台所事情からしてみれば、マーケットの小さなピュアスポーツカーを新たに開発するのは、やはりリスクが高すぎるわけです。

RX-8は観音開きにすることで前後長を短い4ドアスポーツカーを実現しました

そこで4ドアスポーツという提案を行い、それを少しでも理想に近い形で実現して、新たなロータリースポーツを作る決断をして欲しかったわけです。ここで断っておきますが、リーチ氏やミラー氏は、無類のクルマ好きでもありました。だからこそ、ロータリーエンジンに対する理解度も高く、存続出来る道をエンジニア達とともに考えていたのです。

この他にも、当時のアメリカの保険制度では、2ドアのスポーツカーは4ドアよりも保険料が高くなる、ということもピュアスポーツ作りには逆風になったともいわれています。