はじめに
「お金の雑学」お金はどこで造られる?造幣局の“貨幣誕生”へ密着では、現在の日本で使われている、貨幣の製造工程を追ってみました。今回は、古代から始まる日本の貨幣にまつわる歴史的なトピックと貨幣の歴史をお届けします。
学校では教えられなかった、さらに深い歴史がありました。
和同開珎は最も古いお金ではない!
日本で最も古いお金といえば708(和同元)年に製造された「和同開珎」。大抵の人が、そう答えると思います。でも実は、平成に入り、和同開珎より古い貨幣が発見されたのを知っていますか?
その名も「富本銭(ふほんせん)」。大きさは十円玉ほどで、直径平均24㎜で中央に四角い6㎜の穴が空いています。造幣局さいたま支局には、貨幣年表に富本銭のパネル展示があります。
ただしこの富本銭、いわゆる通貨として使われたのではなく、加持祈祷(かじきとう)に使用されていた、護符のようなものだった、という説もあります。
1998(平成10)年、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で発掘されました。
7世紀後半の地層からは、完成品のほか、鋳造に失敗した富本銭や、貨幣を製造するための鋳型などが見つかったといわれています。その場所は、当時の都・藤原京の繁栄を支える官営の工業団地だったと推測されているそうです。
戦国武将のお宝金貨!
造幣局の大阪本局とさいたま支局の二カ所にしかない、貴重な金貨があります。その名も「竹流金」(たけながしきん)。
1935(昭和10)年、造幣局大阪本局の横にある大川(旧淀川)で発見されました。なんと、シジミ採りをしていた男性がたまたま見つけたのだとか。
この金貨は、室町末期から戦国時代にかけて、竹の形をした鋳型に流し込み、造られていました。戦国武将たちは、軍資金、恩賞用に備蓄しておき、秤量金貨として必要に応じて一部を切り取り、重さを測って使っていたと推定されます。
竹の形をしているため節があり、そこに折った形跡があることから、長さは推定50〜60㎝と予想されています。
展示されているのは一見して約5㎝、重さは約50g。
竹流金が発見された大川は、元々、秀吉時代の大坂城の敷地に接していました。大阪の陣で徳川家康に攻められ、落城時に泥棒が忍び込んで持ち出す際、船で移動中にこの川に落としたうちのひとつが、400年以上を経て発見されたのでは? ともいわれています。
造幣局さいたま支局で見ることができます。
造幣局さいたま支局
埼玉県さいたま市大宮区北袋町1-190-22、さいたま新都心駅から徒歩12分、9時〜16時30分(入館は16時まで)、入館無料、TEL:048-645-5899
文=佐藤成美 撮影=造幣局さいたま支局(一部) 今田壮(風来堂)