はじめに
日常のふとした瞬間に価値がある
――監督にとって「モノの価値」の判断基準とは何でしょうか。
自分が見て、良いと思うかどうか。それしかないです。
よく言うのは「人の言うことなんてあんまり信用するな。疑ってかかったほうがいいよ」ということ。もちろん、そのためには自分の目を鍛えなければいけない。他人が「良い」と言うものは自分で見て、何がいいのか判断しなければいけない。誰が「良い」と言っているのかも大事。すべての人が「良い」と言うものは疑ってかかったほうがいいと思っています。
逆に、自分がふと見たときに「なんで、これが良いんだろうか」と、引っかかるものは大事にしたほうがいい。その人にしか持てない価値があると思いますし、多様性は必要だと思います。
自分が良いなと思っているものを、ほかの人も良いと思ってくれる。そうなったときに共感が生まれたりします。最近は、自分の見たことや考えたことを大事にしていたほうがいいと感じています。特に若いころや幼いときの原風景は大事にしておいたほうがいいし、その人にしかない価値観になっていると思います。
――今回の映画では、1億円というお金が出てきましたが、モノの価値はお金以外のところに本来の価値が存在すると思われますか。
1億円には全然価値がない。もちろん、映画を作るのには必要ですが……(笑)。それよりも、ふとした瞬間に価値があると思います。
たとえば、共感してくれる人が身近にいる。それが結局、生きているという価値につながると思います。極論をいえば、人間は死ぬために生きているんです。それを考え出したら夜も眠れなくなっちゃうんだけど。
だからこそ、そういう楽しい瞬間が大切なんです。たとえば「窓の外を見てみろよ」と、言ってくれる人が隣にいる。「えっ」て見てみたら、「いいよね、あの風景」と教えてくれる。
映画の最後のほうに出てくる描写は、撮影の最後に思いついて必要だと思ったんです。日常の瞬間を切り出しました。ちょっとした小さなことだけど、実は大きくて大事なことだと思います。