はじめに

簿記理論完成の背景

にもかかわらず「資本等式」が簿記の教科書に掲載されたのは、それから400年も後のことでした。なぜこんなにも時間がかかったのでしょうか?

これは私見ですが、最大の理由はやはり産業革命の影響――より具体的に言えば、経営者と投資家との分離が進んだことではないでしょうか。

18世紀半ばに産業革命が始まるまで、企業の規模はいずれも小さなものでした。現代でいう個人経営の会社が大半だったのです。たとえば15~16世紀に栄えたメディチ家の銀行は、当時としては最大クラスの企業でしたが、それでも社員数はおよそ100人ほどでした。

産業革命以前の世界では、企業の規模はいずれも小さく、経営者と投資家とが一致していました。経営者本人がその企業の投資家でもあるため、純資産の増減や配当金の有無といったものにさほど注目が集まらなかったのだと思います。

現在でも、個人経営の企業では、まず目が行くのはキャッシュフローです。純資産が多少減っても社長の財産が減るだけですが、返済日に充分な現金がなければ会社が倒産してしまいます。経営者と投資家が一致している限り、純資産の増減は二の次、三の次になりがちです。

ところが企業規模が大きくなり、経営者と投資家との分離が進むと、そうも言っていられなくなります。投資家たちは潤沢な配当金を求めるため、純資産に向けられる目もより厳しいものになったはずです。

歴史的には19世紀が、まさにその転換点となった時代でした。

19世紀前半には鉄道会社が次々と設立され、重厚長大な産業が栄えるようになりました。証券取引も活発になり、資産家たちの投資対象はそれまでの農地から、企業の株式へと変わりました。

当時の企業では、本当は利益が出ていないにもかかわらず、純資産を切り崩して配当を行い、利益が出ているかのように装う粉飾が横行したそうです。これは大半の企業が個人経営だった時代には起こりえない問題です。このような粉飾を防ぐために、純資産に関する会計理論と制度が発達していきました。

1880年代という〝つい最近〟になってようやく簿記理論が完成した背景には、資本主義の成熟があったのです。

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