はじめに
不妊原因は連立方程式を解くように複雑
現在、日本には数百の不妊治療を専門とするクリニックがあります。そして、それぞれのホームページでは、技術レベルの高さや妊娠率の高さについてよく紹介されています。しかし、「各クリニックがうたっている平均妊娠率と個々の夫婦が妊娠する確率(可能性)には実のところ、あまり関連性がありません」とも黒田さんは指摘します。
なぜなら、妊娠は夫×妻(妊娠=夫×妻)で成り立つことであり、かつ、ヒトの不妊原因は細かく分類すると、男女とも恐らく数十種類はあると考えられているからです。「夫婦ごとに不妊の原因の組み合わせは異なり、何パターンもあるので、不妊の原因を突き止めるのは連立方程式を解くようなもの。それにもかかわらず、現状は流れ作業のように、不妊が軽症の夫婦も重症の夫婦も同じ治療を受けている状態です。それゆえ、妊娠率は正確な数字とは言えないのです」
例えば、夫に重い男性不妊がなく、妻も比較的若くてホルモンによる排卵誘発に良く反応する。そうした不妊症としては軽症のカップルを多く対象に治療していれば、そのクリニックの平均妊娠率は必然的に高くなります。
平均妊娠率が高いクリニックは、単に軽症の夫婦を中心に治療しているということもないとは言えません。以上を踏まえると、平均妊娠率と実際に妊娠できる確率とは関連性があまりないということになります。
これからの不妊治療は どうあるべきか?
黒田さんは「最近、十数回から数十回顕微授精を受けたものの、妊娠に至らなかったご夫婦が相談に見えるケースが増えています」と心配します。また、そうした夫婦の話を聞いていると、「改めて精子に関する情報が極めて少ないまま、顕微授精が繰り返されている実態が明らかになった」とも。
「顕微授精が成功しないということで相談に来られたご夫婦について、私が多項目の精子機能の精密検査を行った結果、多重異常を認めるケースが多いことに気がつきました。長い治療の末に精子の問題を指摘されたご夫婦の困惑は、計り知れないものがあります。中には、奥様から『いままで私の卵子にこんな精子を入れていたのですか。むしろ妊娠しなくて良かった』といった発言が出ることもありました」
顕微授精を選んだ多くの夫婦が、「精子状態が悪いから顕微授精しかない」と説明を受けていることに、黒田さんは強い懸念を示します。「現状では、一見元気な運動精子に潜んでいた様々な異常が、妊娠できなかった一因と“断定”まではできません。しかし、両者に因果関係は全くないという結論を出すことも極めて困難」だと言います。
これからの不妊治療に必要なのは、顕微授精全体で妊娠率を出すのではなく、精子側の異常別に統計を出し、どのような精子異常が顕微授精を避けるべきかを明らかにしていくこと。また、精子選別・評価の技術の向上を促し、いままで見えなかった異常を明らかにすること。そして、精子の状態があまりに悪いことが判明した場合には顕微授精の中止、さらには治療断念を考慮したガイドラインの策定をすること。これらが急務だとのことです。
また、患者側も「不妊である背景の複雑さを思えば、病院で自分たちの隣りに座っている夫婦が全く同じ状態ではないと想像できるはず。それなのに、流れ作業のように同じ治療をされて本当に大丈夫なのか?と疑問に思うところから、患者さん側も知識を深めていっていただければと思います」と黒田さんは言います。
黒田優佳子
黒田インターナショナル メディカル リプロダクション院長。ヒト精子の研究と不妊治療を専門とする。これまでに受精能をもつ精子の選別法ならびに評価法等(黒田メソッド)を研究・確立。慶應義塾大学医学部、同 産婦人科学教室大学院を卒業、博士号を取得。東京大学医科学研究所の研究員を経て97年、慶應義塾大学医学部 産婦人科学教室の女性初の医長に就任。2000年に独立、現職へ。著書に『不妊治療の真実―世界が認める最新臨床精子学』(幻冬舎)ほか。