はじめに

等価交換は関係を絶ち切る。負債はポジティブに捉えても?

平川:人はなぜお返しをする時により少なく返すか、より多く返さないといけないか。僕は以前、バレンタインデーで500円のチョコレートをもらったので、500円のチョコレートをお返ししたら、「平川さんね、それはあなた違うわよ」と。バカ正直に500円のものを返すのは失礼なことだと嗜められたことがありました。

逆に病気見舞いで1万円をもらった時に1万円返すのも失礼なことで、半返しという習慣がありますよね。つまり、どちらかが必ず借りを作っている状況を作っている。

僕は、この感覚って何だろうと考えたことがあって。そして、負債関係とは人間関係をつなぎ止める上で非常に重要なものであり、その負債関係を等価交換によって清算することは、人間関係を断ち切ることだと気づいたんです。

赤の他人である銀行からお金を借りることは、「支配と服従」という社会関係が生じるため、我々は臆病になりますが、負債関係にはそれと相反する「親愛とその受容」という関係もあり、本来はもっとポジティブなものなのだと。

本当に好きな者同士とか、近しい親子だとか、すべて負債関係ですよね。そこでは等価交換をやってないですよ。等価交換をやるのは、手切れ金を渡して俺と別れてくれという時だけなんですよね。だから、僕は友だちに「金貸せ、金貸せ」と言っているのは、友情を深めていることなの(笑)。

安田:僕が興味のあるのは、心の次の時代が何かということなんですが、それは少なくともリニア的な思考ではないんじゃないかと思っているんです。経済活動の「交換」もリニアです。

例えば、労働をした時に、その労働に見合った対価を支払い、支払われる。これは労働における交換だけではなく、たとえば500円で買った、500円で売ったという物の売買の時も同じですよね。でも、これってよく考えると心の中では等価ではないでしょ。それを買う人は「これは500円以上の価値があるぞ」と思って買う。逆に売る人は「しめしめ高く売ってやった」って、すなわち500円以下の価値だと思って売っています。その差しが利益になっていくわけですよね。だから、等価経済というのは、本来は成立しない。

平川:おっしゃる通りで、等価交換はインチキなんですよ。等価交換のモラルは、貨幣以後に作られてきたモラルなんです。現在であれば新自由主義的なところから生まれてきたもので、借りた金は返さなければならない、金を返すのは自己責任、人のものを盗んではいけないだとか、そういったモラルが出てくるわけです。でも、他人のものは俺のもの、俺のものは他人のもの、というモラルもあったわけですよ。

安田:古典芸能の世界にはそういうのがまだ残っていて。僕はワキ方ですが、鼓や笛も知らないとできないので、鼓や笛の先生に習いに行くんですが、玄人の場合は全部タダなんですよ。今だったら能楽界に寄与するためと考えると思うんですが、そういうのは全くなくて、教えてって言われているから教えているという、呼びかけに対するレスポンスなんですね。

平川:安田さんの著書に書かれていましたが、お稽古をする場合、一つの技術を習得していく時に孫子の代までの時間スパンで考えると。自分の生きている20年、30年では完成しないと、そこまで考えに入れていると。

そう考えると貨幣経済って「生きているうちが花よ」の世界ですから、意味がないんですよ。

安田:若い頃に鼓を買ったんです。初めは全然鳴らないんだけど、毎日打って50年ぐらい経つと鳴ります、一回鳴り出すと650年くらい鳴りますと。そうすると作った人に次に発注が来るのが650年後なんです。

ところがこれを税務署に届けを出すじゃないですか。すると「減価償却5年です」と言われて(笑)。だから、いわゆる貨幣経済と古典芸能の価値観というのは全く違うんですね。

平川:人間の一生よりも長い、現実を超越しているもの、それが時間なんですよね。そうした超越しているものを基準に色々なものを設計し、考えることが必要であって、現実的とは違う超越的な価値観があり、その一方に「生きているうちが花よ」という限定的な世界があり、この2つのモラルが常に入れ子になっている。まさに、楕円ですね。

どちらか1つではなく、その両方が程よい距離感で調和する社会を作り出していくことが大事だと思います。

平川克美
1950年、東京都生まれ。隣町珈琲店主。声と語りのダウンロードサイト「ラジオデイズ」代表。立教大学客員教授。文筆家。早稲田大学理工学部機械工学科卒業後、翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立。著書に『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』など多数。

安田登
1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた二五歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。著書に『あわいの力 「こころの時代」の次を生きる』など。

『21世紀の楕円幻想論—その日暮らしの哲学』 


文無し生活、その日暮らし、タケノコ生活、自転車操業の日々となった。とほほである。多くの人々は、そんな生活をしたいとは思わないだろう。しかし、やってみるとこれがなかなか時代に適合した生き方のようにも思えてくる。…そのために必要なものは何か。…その答えは本書をお読みいただきたいと思う。――「まえがき」より

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