はじめに
ここ10年ほどでしょうか。「転売屋」が問題視されています。
転売屋とは、コンサートチケットなどの入手困難な商品を仕入れて、インターネットオークションなどを使って高値で売り捌く人たちのことです。最近ではNintendo Switchの品薄が続いている時期に話題になりました。店頭にはどこにも置いてないのに、ネット上には大量に出品されていたのです。もちろん、定価よりもずっと高い値段で。
そもそもコンサートチケットの転売は、「ダフ屋」行為であり違法です。チケットではなくても、中古品を継続的に販売して収益を上げるには古物商として営業許可を取らなければなりません。アイドルやマンガ、アニメの限定商品が発売されるたびに、どこからともなく転売屋が現れてファンの怒りを買います。
転売屋は、情報化の時代が生んだ影と言っていいでしょう。Yahoo!オークションやメルカリ、Amazonマーケットプレイスなど、個人が簡単にインターネット上で商品を売買できるようになったからこそ、転売屋はここまで大きな存在になりました。それこそ、商品の標準的な価格に影響を与えるほどの存在になってしまったのです。
Twitterや2ちゃんねるを眺めていると、転売行為をしている人々はさほど罪悪感を抱いていないことが分かります。もしかしたら、この連載の読者のなかにも転売行為でお小遣いを稼いでいる人がいるかもしれませんね。
私としては、転売をしている人に「悪いことだから今すぐやめろ」とは言えません。目の前に簡単に稼げる手段があるなら、それに飛びつきたくなるのが人情でしょう。「ほどほどにしてください」とご助言するのが精一杯です。
転売をしている人々は、自分たちの行為は仲卸業者や小売店と同じであると考えているようです。安く仕入れたものを、高値で売り捌いているだけ。もしも転売行為が悪事だと言うのなら、伊藤忠や丸紅、イトーヨーカドーがやっていることだって悪事じゃないか――。と、言うわけです。
では、仲卸業者と転売屋は、本当に同じものなのでしょうか?
通信販売の起源
この疑問に答える前に、簡単に歴史をふり返ってみましょう。一応、この連載のタイトルには「歴史物語」という言葉が入っています。歴史に触れないわけにはいかないでしょう。
前述の通り、転売屋が生まれた背景には情報化社会があります。インターネットの発展により誰もがAmazonのような通信販売が行えるようになった結果、転売行為は大規模になりました。正確な統計を私は知りませんが、転売をする人の数も、転売される商品の数も、爆発的に増えたことは間違いありません。
それでは、通信販売の起源はいつでしょうか?
おそらく人類文明の黎明期から、通信販売と呼べるような業態は存在していたはずです。王侯貴族や富裕層が注文を出して、懇意にしている商人が商品を手に馳せ参じる。そんな大昔の取引も一種の通信販売と呼べるでしょう。
もちろん、これは現代的な通信販売とは違います。分厚いカタログに大量の商品が並んでいて、誰もが簡単に欲しいものを手に入れられる。そんな通信販売が可能になったのは、やはり産業革命のおかげでした。
1840年代を皮切りに、イギリスやアメリカで鉄道が爆発的に発達したことは以前の記事にも書いた通りです。そして19世紀末になると鉄道のシステムは整備され、庶民にとってなくてはならない存在になっていました。とくにアメリカのシカゴは鉄道網の起点として発展を遂げました。各路線が血管だとしたら、いわば心臓のように毎日大量の列車を送り出していたのです。
1886年、ミネソタ州ノースレッドウッド駅の駅長リチャード・シアーズは見慣れない腕時計の箱を手に入れました。シカゴの宝石商が送った箱が、地元の卸売業者に誤送付されたのです。その卸売業者は時計を欲しがらなかったので、シアーズは自腹で買い取りました。それを知人の駅長たちに転売したところ、儲けを出すことができました。
これがすべての始まりでした。
新しい業態「通信販売」の誕生
自信を付けたシアーズは、腕時計販売会社を設立。1887年には会社の拠点をシカゴに移しました。さらに時計技術者のアルヴァ・C・ローバックという共同経営者を見つけて、1893年には「シアーズ・ローバック」を創立しました。これが歴史上初の本格的な通信販売業者でした。
シカゴは工業地帯であり、商品を一時保管できる巨大な倉庫がたくさんあること。さらに鉄道網の心臓部なので、アメリカ全土へと商品を郵送できること。これらのことを元駅長であるシアーズは知り尽くしていました。
当時の鉄道は誕生から半世紀以上が過ぎ、すでに目新しい技術ではなかったはずです。いわゆる「枯れた技術の水平思考」によって、彼は通信販売というまったく新しい業態を生み出したのです。
シアーズ・ローバックの扱う商品は腕時計に留まらず、瞬く間に増えていきました。
1897年版のカタログは、じつに786ページという電話帳のような分厚さだったそうです(※ちなみに電話が実用化され始めたのもこの時代です)。掲載されている商品は20万点を超え、小さな活字と約6,000点のリトグラフで紹介されていました。
コーヒーやココア、缶詰などの食料品から、衣服、乳母車、医薬品、拳銃にバイオリンまで、およそお金で買えるものはほぼすべてカタログに載っていたようです。石けんだけでも約60種類というから驚きです。
これが当時の人々にとってどれほど革新的なことだったか! 想像するだけで、私はわくわくします。
当時のアメリカは、まだ都市部よりも農村のほうが人口の多い時代でした。いくら工業化が進んだといっても、都市の工場で働く労働者よりも、田舎の農場で暮らす農民のほうが多かったのです。彼らにとって、買い物は決してラクではありませんでした。
馬車で何時間もかけて最寄り駅まで行っても、駅前には小さな個人商店が一軒あるだけ。そんな環境で生活している人は珍しくなかったでしょう。
たとえば腕時計が欲しくなったら、その商店の主人に直接注文して、届くのを何日も待つほかありません。小さな商店ではいわゆる「規模の経済」を生かすこともできませんから、腕時計はかなり高価になってしまったはずです。60種類から好きな石けんを選ぶなんて、夢のまた夢だったでしょう。
シアーズ・ローバックは、そんな生活を一夜にして変えたのです。