生活

南海泡沫事件と監査報告書の誕生

簿記の歴史物語 第30回

簿記と会計の歴史を扱っていながら、今まで「南海泡沫事件」に触れてこなかったのは片手落ちでした。オランダのチューリップ・バブルやフランスのミシシッピ会社事件と並んで、歴史上もっとも有名なバブルの一つです。「バブル」という言葉そのものが、この事件をきっかけに生まれました。

事件の主役となった「南海会社」は、東インド会社設立のおよそ110年後、1711年に設立されました。主な事業目的は奴隷貿易で、スペイン領の南アメリカに奴隷を供給するという商売(※アシェント貿易)の独占権をイギリス政府から賦与されていました。とはいえ1719年には肝心の得意先であるスペインとの戦争(※四国同盟戦争)が始まったので、事件当時はアシェント貿易そのものを失いつつあったようです。

そして南海会社には、もう一つ大きな存在理由がありました。

それは、政府の財政難の解消です。


財政難解消の一手「南海計画」

17世紀のイギリスは、三度に渡る英蘭戦争を始め、対外戦争を繰り返していました。そのため南海会社が生まれた18世紀初頭には、政府は莫大な額の借金を負っていたのです。

この借金をチャラにするため、南海会社の設立時には公債(※今の日本でいう国債)の一部を株式へと転換するという政策が取られました。公債が株式に変わるので、政府は借金返済の責務から逃れられます。また、公債を所有している――政府にお金を貸している――人から見れば、南海会社からの配当金によって、貸したお金を回収できるわけです。

そして重要な点ですが、もしも南海会社の株式が値上がりすれば、その売却益によって、貸した金額をはるかに上回る儲けを得ることも可能でした。設立当初から、南海会社の株式には投機的な性質があったのです。

当時の株式取引の様子といえば、イギリスのみならず西ヨーロッパ全体が投機熱に包まれていました。ジョン・ローによるミシシッピ会社事件が、ほぼ同時期に起きていることからも分かる通りです。イギリスでは、東インド会社の株式や、1694年に設立されたイングランド銀行の株式が、大企業の株式として投資の対象になっていました。

もちろんそれだけでなく、多種多様な株式会社の新規設立が相次いでおり、富裕層が投機先に困ることはありませんでした。中には「永久運動機関の発明」や「誰も知らない有利な大事業」などを掲げる、詐欺まがいの株式募集もあったようです。

1720年1月、事件の発端となる「南海計画」が発表されました。これは発行済みの公債のうち長期債を南海会社の株式へと転換するというものでした。ポイントは、公債と株式との交換には額面金額ではなく、〝時価〟を使うということです。にもかかわらず、南海会社は転換した公債の〝額面〟に等しい株式を発行する権利を与えられました。

つまり、会社の株価が額面よりも高くなるほど、公債と交換すべき株数は少なくて済みました。旧公債保有者に引き渡されずに残った株式を売却すれば、南海会社の経営陣は多額の売却益を得られたのです。会社経営に関わらない人から見ても、「経営陣は株価をつり上げようとするに違いない」「株価は上がるに違いない」と信じるには充分だったのです。

「泡沫会社禁止法」の成立

事実、南海会社の株式は、計画の発表直後から上がり始めました。

年初の時点では、南海会社の株式は1株£100台で取引されており、これは額面金額の£100からさほど乖離したものではありませんでした。しかし4月には法案が庶民院を通過し、南海計画の詳細が広く知られるようになりました。そして6月には、1株£1,000以上で取引されるまでになったのです。最高値は£1,050でした。

「株価が上がるに違いない」と誰もが信じたからこそお金が集まり、現実に株価が上がってしまい、そのことが「株価は上がる」という確信をさらに深めさせ、ますますお金が集まるようになる――。南海会社の株価暴騰は、典型的なバブルでした。

人々の投機的な動機だけでなく、会社の経営陣も株価を釣り上げるような操作をしていたようです。高配当を宣言し、株式を担保としたローンの貸付を行い、さらには自社株の購入によって値崩れが起きないようにしていました。

人々が株式への投機で浮かれる一方、怪しげな株式会社の設立も止まりませんでした。

中には出資金を受け取るとそのまま姿をくらます経営者まで現れました。永久機関の発明どころではない、完全な詐欺事件です。おそらく、現れてはすぐに消えることから名付けられたのでしょう。このような怪しげな新規企業はまとめて「泡沫会社」と呼ばれるようになりました。

南海会社の株価がピークを迎えた1720年6月、「泡沫会社禁止法」が成立します。名前の通り、泡沫会社の取り締まりを目的とした法律で、これによって株式会社の新規設立が大幅に抑制されるようになりました。結果として株式投資そのものが下火になり、南海会社の株価も下がり始めました。

バブル崩壊と初の「監査報告書」

バブルの恐ろしいところは、熱が冷めるのもあっという間だという点です。

「この先、株価は下がるに違いない」と誰もが信じるようになると、株式を手放す人が増えて、本当に株価が下がってしまいます。それが「株価が下がる」という確信を深めさせて――。株価が暴騰したときとは逆向きの現象が起きてしまうのです。

年末までに、南海会社の株価は1株£150台まで下落しました。

バブルは崩壊したのです。

南海泡沫事件の注目すべき点は、歴史上初の「会計士」による「監査報告書」が作成されたことです。とはいえ、公的に認められた資格としての会計士が生まれるのは19世紀半ばを待たなければなりません。あくまでも〝自称〟会計士のチャールズ・スネルという人物が、南海会社の金融子会社だった「ソーブリッジ商会」の帳簿の監査結果を4ページの報告書にまとめたのです。

この監査報告書は、現代のそれとは大きく性質の異なるものでした。

南海会社の経営陣が自分たちだけで株価高騰をもたらすことができたとは考えにくく、政界の有力者に賄賂を贈って協力を仰いだのではないか――。バブルの背後で、そんな嫌疑が持ち上がっていたのです。疑惑の中心は、財務書記官の1人チャールズ・スタンホープという人物でした。

スネルによる監査報告書は、収賄を否定するスタンホープの主張を補強する資料として作成されました。現在のように、第三者の立場から正しい会計処理を行っているかどうかを確認するものではありません。中立的で公正な監査が行われたとは考えにくいでしょう。

とはいえ、この事件のなかで「会計士」が雇われたことは特筆すべきです。簿記・会計は日常の商売を行うために必要なだけではなく、一種の特殊な知識であり、専門的な職業人が必要だと認識されるようになっていたのです。

■主要参考文献■
中野常男・清水泰洋『近代会計史入門』

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