はじめに

英国のシンクタンクZ/Yenなどは、年2回、世界金融センター指数(Global Financial Centres Index)を公開しています。これは世界100の金融センター(ウォール街を擁するニューヨークのような地域のこと)が持つ競争力を指標化したものです。

その最新版(2018年9月発表)によると、世界で最も競争力のある金融センターは、1位から順にニューヨーク、ロンドン、香港、シンガポール、上海、東京だったのだそうです。一般に世界3大金融街といえば、ウォールストリート(ニューヨーク)、シティ(ロンドン)、兜町(かぶとちょう・東京)辺りを思い出しそうなところですが、近年ではその認識は当たらないのです。

とはいえ日本人にとって、ウォールストリート、シティ、兜町は馴染みの深い金融街の名前ではないでしょうか。実はこれらの地区のいずれにおいても、その語源に興味深い物語が隠されています。そしてその物語には、ある共通点も存在するのです。今回は「金融街の語源」を掘り下げてみましょう。


ウォール街には本当に「壁」があった

アメリカの中心的金融街「ウォールストリート」(Wall Street)。日本語では「ウォール街」とも言います。これはニューヨークのマンハッタン南東部にある街区のこと。ニューヨーク証券取引所、連邦準備銀行などがあるため、金融街として名を馳せているわけです。

このウォール街の付近に、かつて本当のウォール、つまり「壁」が存在していたことをご存知でしょうか。マンハッタン島の先端部分(南西方向の先端部分)と残りの大部分とを隔てる壁が設けられていたのです。

話はアメリカの建国(1776年7月4日)よりも前にさかのぼります。現在ニューヨークのあるマンハッタン島に最初に入植したのはオランダ人でした(1614年)。そして当時の入植者たちは、この地をニューアムステルダム(オランダ語ではニーウアムステルダム、新しいアムステルダムという意味)と呼んでいたのです。ところが1664年にイギリス人がこの地を征服することに。同地には新たにニューヨークとの名前が与えられました。ちなみにヨークとはイングランドの王、ヨーク・アルバニー公(ジェームズ2世)のことです。

このニューヨークの歴史のうち、ニューアムステルダムの時代にあたる1650年代に「入植地の内外を隔てる壁」の建設が始まったのです。その建設理由については諸説あります。ある資料は「家畜の侵入を防ぐため」(参考・百科事典マイペディア)、またある資料では「イギリス人の侵攻を防ぐため」(ブリタニカ国際大百科事典)、さらに別の資料では「先住民・外敵の侵攻を防ぐため」(日本大百科全書)と説明していました。ただいずれも「オランダ人を守る」という部分で共通します。

結局ニューヨーク時代に入ると、この壁は取り壊されることになりました(1699年)。おそらく「オランダ人を守る」という目的が失われたからなのでしょう。その結果、ウォール街という名前だけが残ることになったのです。やがてこの地には市役所、奴隷市場、牢獄などの施設ができ、アメリカの独立後は金融街として発展しました。

シティこそが「ロンドン」である

次はイギリスの中心的金融街シティ(the City)のお話。ロンドンの中心部、テムズ川の北側に位置する街区(約2.9平方キロ)のことで、その面積規模からスクエアマイル(the Square Mile、直訳では平方マイルの意味、1平方マイルは約2.6平方キロ)との異称もあります。同地にはロンドン証券取引所、イングランド銀行など、金融関連の重要施設が集約しています。

さてこのシティ(the City)の名前のうち「the」の部分が大きな注目点となります。英語の定冠詞theといえば、ざっくり言えば「そのときの文脈でただひとつを特定できるもの」につく冠詞ですよね。つまりthe CityというときのCityには「Cityといえばあの場所しかない」というニュアンスが隠されているわけです。

それもそのはず。シティとは、乱暴にいえば「狭義のロンドン」そのものなのです。シティのもうひとつの異称は「ザ・シティ・オブ・ロンドン(the City of London)」というもの。一方で私たちが普段ロンドンと呼んでいる都市は、正確には「大ロンドン(Greater London)」と呼ばれている広範な地域(約1600平方キロ)を指しているのです。

ザ・シティ・オブ・ロンドンとは、ロンドンという都市が発展する起点となった場所でした。そういった歴史的経緯から、ザ・シティ・オブ・ロンドンには大ロンドンとは別の自治権が存在します。例えば大ロンドンには市長(Mayor of London)がいますが、ザ・シティ・オブ・ロンドンにも名誉職ながら別の市長(Lord Mayor of London)がいるといった具合。また大ロンドンとは別の警察組織(City of London Police)も存在するなど、いろいろと面白い特徴を持っている場所なのです。

ちなみに、かつてはこの場所にもウォール街と同様の壁「ロンドン・ウォール(London Wall)」が存在していました。紀元前この地に侵入したローマ人によって作られた城壁のことです。そして城壁の内側に整備された集落ロンディウムこそが、シティやロンドンの原型なのです。つまりシティの歴史においても、壁が重要な役割を果たしていたのです。

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