はじめに

発売してたちまち大ヒット

その価格はファミリーセダンのブルーバードの2倍、当時のポルシェやジャガーの半額という設定を狙いました。そしてアメリカでは140万円を切る設定、国内向けでもベーシックグレードが93万円となりました。これは当時のスポーツカーとして、破格とも言えるリーズナブルな設定だったそうです。

こんな逸話があります。「北米での試験走行中に、警官から停止させられたのですが、違反したつもりはない。その警官は見たことのないスポーツカーが走っていたので、話が聞きたくて止めたのです」と松尾氏。興奮した様子の警官は「これは何というクルマだ? どこで、いつ発売するんだ?」と北米テスト班に質問の嵐だったそうです。

そして「4,000ドルを切る値段で売る予定だ」と伝えると「出たら絶対に買うよ!」と嬉しそうに彼は言ったそうです。案の定、初代「フェアレディZ」は69年に登場すると北米で人気爆発。予想を大幅に超えるビッグヒットとなり、すぐさま供給不足が起こり、プレミアムまで付いて販売されました。なんと最盛期には月産8千台を超えるという、それまでに経験の無い量販車となりました。もちろん日本でも大人気となったのです。



大成功を収めたことでバリエーションも続々登場。旧プリンス系の高性能エンジン、S20型という高性能エンジンを搭載した「432」。特別な存在として現在でも1,000万円を超えるクルマもあります

こうして初代「フェアレディZ」は2代目へとバトンタッチするまでの10年間で全世界の販売総数55万台、日本国内でも8万~9万台という、当時としては空前の台数が送り出されたわけです。その後、世界中のZファンから片山氏は“Zの父”、松尾氏は“Zの母”としてリスペクトされることになり、現在でも日本ばかりかアメリカでのイベントなどに招待されることが多いそうです。



空力性能を向上させることを目指し、フロントにGノーズを装着。アメリカマーケットのモデルだった240を日本に導入する際に差別化するためにGノーズやリアスポイラー、オーバーフェンダーを装備。このモデルも現在大人気となっています


ホイールベースとボディの全長を310mm延長してリアシートを装備した4人乗車の「2 by 2」

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