はじめに
最新のスカイライン400Rのステアリングを握り、私は神奈川県の座間にある「日産ヘリテージコレクション」へと向かっていました。日産の歴史、いや今日の主役、スカイラインの歴史に触れると同時に、専用チューニングによって405馬力までパワーアップした最新モデルをテストするために走らせていました。
歴代の“スカイライン”を振り返る
ちょうどその日はトヨタのマークXがトヨタ自動車の元町工場で生産終了のセレモニー「THANK YOU MARK X」が行われていた日でした。日本からまた一台、スポーツを名乗っていたFR(後輪駆動)セダンが消えた日に、マークXのライバルにして、これからも生存することを許されたFRのスポーツセダンを走らせている。おまけに今日は23日、日産の日(ファンの間では)と来たら、なぜかとても不思議な気持ちになりました。
さて日産ヘリテージコレクションですが日産の生産技術の拠点として、また世界トップレベルのリチウムイオンバッテリー生産拠点として重要な位置を占めている座間事業所内にあります。約5,600平米の展示スペースに 300台以上の貴重な車が並び、もちろん一般の見学者も事前申し込みなどは必要ですが無料で受け付けています。
館内に入り、クルマ好きにはたまらない名車の数々を眺めながら進むのですが、なかなか本題のスカイラインにたどり着きません。
懐かしい市販車ばかりか、実現することのなかった日本で初めての4WDミッドシップカー「MID4」といったコンセプトモデルまであり、幸運にもこのクルマを追浜のテストコースで試乗できたときのことを思い出したりと、とにかく前に進みませんでした。このままでは取材時間がなくなるので、とにかく他のクルマを後回しにして歴代スカイラインを初代から眺めました。
1957年に登場した初代スカイラインは高級サルーンとして憧れの的
ご存じの通り、スカイラインは日産と合併する前のプリンス自動車で1957(昭和32)年4月に誕生し、それ以降、13世代にわたって日本のモータリゼーションを牽引してきました。とくに40代から60代までの人たちにとっては“クルマ文化の担い手”というブランドだったかもしれません。
第2回日本グランプリで生まれた“スカイライン伝説”、そしてハコスカやケンメリ、ジャパン、ニューマンなどといった今でも語り継がれる“愛称”で呼ばれ愛されたスカイライン。もちろん、7thなどは失敗作と言われたり、大きくなりすぎたR33とか、とにかくユーザーたちをはじめ、ずっとクルマ好きをざわつかせてきた存在です。ひょっとしたらそんなクルマはスカイラインぐらいしかないかもしれません。
ハコスカと呼ばれた3代目は68年に登場。GT-Rが初めて登場したモデル
立派なオヤジである私もスカイラインは好きなクルマでしたから、自分の立場をフルに活用して生みの親と言われる櫻井眞一郎さんや、その右腕と言われた島田勝利さん、そして第2回日本グランプリで2位に入賞した砂子義一さんなどなど、多くの関係者の方にもお会いしてきました。どんなクルマにもエンジニアや関わった人たちの思いがたっぷりと詰まっていますが、スカイラインの関係者たちはひときわ熱かったように思います。
正直に告白すれば、もしズラリと並んだ歴代スカイラインを見ることがなかったら、今回は単に「スカイライン400Rに乗りました!」というレポートを書こうと思いました。このような独りよがりなマクラが長くなってしまうほど、影響を与え続けた存在なのです。