はじめに

驚くべきことに、1620年の名古屋の宿屋において「延米取引(のべまいとりひき)」というオプション取引の記録が残されました。夏のうちに翌春の米の買い取りの約束をする取引です。

夏時点での米価を基準額として、そのうち12%を頭金として支払っておけば、翌春にたとえ米が値上がりしていても残額を支払うだけで(※つまり基準額で)米を入手でき、もしも値下がりしていれば、頭金を放棄するという契約になっていました。


日本初、米のオプション取引が驚くべき理由

なぜこれが驚くべきことかといえば、理由は二つあります。

第一に、時代が古いこと。1620年といえば、関ヶ原の合戦から20年、大阪夏の陣から5年しか経っていません。

アメリカ大陸では、ようやくイギリス人植民者がメイフラワー号でたどり着いたころでした。世界初の株式会社であるオランダ東インド会社が設立されたのは1602年であり、西洋の資本主義は産声をあげたばかりでした。そんな時代に、極東の島国でオプション取引が行われていたのです。

第二に、当時の日本には複式簿記がなかったことです。

連載第1回にも書きましたが、日本に西洋の複式簿記が普及するのは明治維新以降です。現代の私たちの感覚からすれば、複式簿記を使わずにどうやって高度な金融取引を管理すればいいのか、見当も付きません。

名古屋の米オプション取引は、あくまでも宿屋の中で内密に行われるものでした。したがって、これを以て「金融市場の成立」と見なすことはできません。しかし、時を待たずして、大阪では大規模な市場が発展していきました。

それは「米手形」の市場です。

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