はじめに

スカイライン伝説誕生に隠された真実

ところがスプーンコーナーを立ち上がっていたとき、信じられない光景が起きたそうです。生沢さんは式場さんに、まるで道を譲るかのように抜かされたのです。「俺に言わせれば“抜かせてあげた”という印象だった。」

後に生沢さんは「実力の差は明らかであり、スポーツ精神にのっとってどいたのだ」と言っていたと砂子さんはいいます。ポルシェを追いかける様子をなかなか見せない生沢さんの走りを目にした時「生沢はレースを放棄した」と思った砂子さんが今度は、猛追していきます。

よく考えれば、生沢さんと式場さんは普段から、六本木などで遊んでいた仲間のような関係にあったことは砂子さんも知っていたそうです。でもレースでは別だろうと考えた砂子さんは先行する生沢さんと式場さんを追います。

「ここでレースを放棄することなど、俺には納得できない。第一、性能差こそ大きいとは言え、この鈴鹿でスカイラインGTがポルシェ904に比べて、それほど遅いとも感じていなかった」と砂子さん。式場さんの最速ラップは2分48秒4であるのに対して、砂子さんは2分48秒9であり、二人の間に大きなタイム差などは無かったそうです。

さらに砂子さんの車の方が生沢さんの車より仕上がりが良く、速かったことも自信の裏付けでした。当然「これなら勝負できる!」と思った砂子さんはついに「そのままの体勢でゴールしろ!」というチームオーダーを無視します。

まずは2位の生沢さんに「どけ、どけ! お前が行かないなら俺が行く」と、ボディを左右に振って生沢さんに意思表示をしました。それでもなかなか先を譲ってくれないので、ついにダンロップブリッジのところまで来たとき「とにかく先に行かせてくれ!」と言う意思を表わすために、仕方なく生沢さんの後ろからマシンにぶつけて合図をしたそうです。

すると生沢さんは姿勢を乱し、そのすきに砂子さんは前に出て、ポルシェの追い上げを始めたのです。

だが、すでにレースが後半戦に入った12周目のことでしたから結局16周目、追い上げも適わず砂子さんはポルシェに次いで約10秒遅れの2位、そして砂子さんよりさらに約10秒遅れで生沢さんが3位でゴールしました。このレースでスカイライン伝説が誕生したと同時に、最後のこの一件で、砂子さんはずっと悪者扱いだったそうです。「でも卑怯なことはしてこなかった」と笑いながら話されていました。

結果としてはプリンス・スカイラインGTが2位から6位まで独占して、鈴鹿から一般道を走りながらの帰京途中では、各ディーラーで大歓迎を受けたという

それ以降、砂子さんは多くのレースに参戦していますし、「GT-R無敵の52勝伝説の立役者」の一人とも呼ばれるレジェンドでした。その生き方に共鳴した多くのファンがいたことも確かです。生前のイベントのサイン会でも長い列ができるほどでした。実は今年もクラッシックカーのイベントで砂子さんとお会いする約束をしていたのですが、なんとも残念です。3月の偲ぶ会にはうかがおうと思います。安らかにお休み下さい。

<写真提供・砂子義一>

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