はじめに
国家公務員と聞いて
その研修会には、さまざまな仕事の人が来ていました。たまたま隣に座った彼が、どこから来ている人なのか彼女は知りませんでした。
「実はその研修会、すごくつまらなかったんですよ(笑)。会社にお金を出してもらっているわけでもないし、帰ろうかなあと思って、休憩時間にふっと隣を見たら彼もこちらを見ていて……。会釈しながら荷物をまとめていたら、『帰るんですか』って。『あんまり実になりそうにないので』と笑ったら彼が笑い出して『僕もそう思っていたんです。寒いから温かいものでも食べに行きませんか』と。なんだか大学の講義をさぼる学生のような気分で楽しくなっちゃいました」
近くに気軽なイタリアンバーがあったので、そこへ入り、ふたりでサボった祝杯をあげました。講義をさぼった学生の気分、というのを彼が気に入り、学生時代の話に花が咲いたそうです。
「彼は2歳年下だったんですが、実は同じ大学だったとわかって。マンモス大学だからそういうこともあるんでしょうけど、私はすっかり運命の人だと思い込んでしまったんです」
彼は勤め先などをいっさい聞いてこなかったので、彼女も聞くのを控えました。それでも安定した大企業なのかなという雰囲気は伝わってきたそうです。
「でもそれより彼との会話が楽しかったんです。学生時代にジャズにはまったと言ったら、彼が目を丸くしてジャズサークルにいた、と。好きな映画も好きな本もすごく似ていて。出身地は少し離れていましたが、彼も日本海を見ながら育った。話が尽きませんでした」
気づいたら3時間半がたっていて、彼女はあやうく最終電車に乗り遅れるところだったといいます。駅まで急ぎながら、ようやく連絡先だけ交換しました。
そしてふたりは翌日また会ったそうです。
「彼も私も仕事が忙しいのに、少しでもいいから会いたいと一致して。それ以来、2週間で10回会ったんです。会わずにいられなかった。いつ会っても楽しいし、自分のことを知ってほしい、彼のことももっと知りたい。その気持ちだけでした」
つきあおうという言葉は必要ありませんでした。お互いに惹かれているのがわかっていたから。3回目の食事のあと、彼はヨリコさんの部屋にやってきました。彼は社宅に住んでいるので「僕の部屋には招くことができないんだ、ごめんね」と言っていたそうです。
「彼がうちにきたとき初めて、私は勤務先を伝えました。彼は『僕は金融関係』とだけ言っていました。私はてっきり銀行勤務だと思い込んだんですが。それから1ヶ月ほどたって、彼が急に忙しくなったから少しの間、会えないと言ってきたんです」
そのとき彼が国家公務員だと彼女は初めて知りました。しかも相当なエリートだということを。
「そこで私、スイッチが入っちゃったんですよね。彼を逃したらもう結婚相手はいない、と。もちろんお互いに好きでつきあい始めたんだけど、相手が国家公務員と聞いたらぐっと前のめりになりますよね」
仕事は好きだったが、いつまで続けられるかわからない。万が一、自分が仕事を失っても国家公務員と結婚すれば安泰。彼女にそんな気持ちが芽生えたのは確かだそうです。
「その後、彼が忙しいと言っているのに私、ものすごくしつこく会いたいと連絡してしまったんです。あげく、結婚するなら早いほうがいいよねとか、早く結婚して孫を見せたいとか。彼にしてみれば始まったばかりだし、本当に多忙だったみたいで全然返事をくれなくなって。それでも私、『一緒に住めば、毎日夜食を作ってあげられるのに』なんていうメッセージを送り続けていました」