はじめに
自責の念に苛まれながら
結婚式など挙げさせない。つぶしてやる。それが彼女の決意でした。それでも彼女は彼が好きで、結婚をやめて自分と一緒になってくれれば、すべて水に流すつもりでもいたのです。
ある日、彼に「私との関係をどう思っていたのか」と尋ねると、彼は「好きだよ」と当然のように言いました。
「だけどアキと一緒になってもメリットがない。彼女と結婚すればオレはたぶん出世できる。いずれ金も権力も手に入る。そうしたらアキにもいい思いをさせてあげるよ」
彼女はその彼の言葉を録音していました。そして婚約者の親に送りつけたのです。
「ことが発覚する前、私は会社を辞めて引っ越しました。あとから元同僚たちに聞いたら、彼の結婚はなくなり、あげく彼は会社を辞めたそうです。ざまあみろと思いましたが、そんなことをした自分にも耐えられなくなって、そこからうつ状態になってしまいました」
失業保険を受給しながら病院に通いました。裏切った彼を陥れたことで、彼女は後悔に苛まれる日々を送ることになったのです。
「1年ほどたってやっと派遣社員として働くことができるようになったのですが、それからも心から笑えるような心境にはなれなくて。風の便りで、彼は実家に戻ったという話も聞きました。地方の農家だと聞いていたけど、彼も農業を継いだのかもしれません」
昼は派遣で働き、夜は週に数回、スナックでアルバイトをしながら彼女は正社員への道を模索していました。そこへこのコロナ禍です。一時期、彼女は派遣の仕事もスナックのバイトも失いました。
「親からは帰ってくるなと言われました。近所で何を言われるかわからないからって。私も帰るつもりはありませんでした。どうしても東京できちんと生活していきたかった。東京に負けたくなかったんです」
憧れていた東京につぶされたくない。そんな思いがあったそうです。そんなとき、例の彼から連絡がありました。彼女は彼の連絡先を削除できずにいたのです。
「実家の農業がうまくいっていること、結婚して子どもが生まれたことなどが書かれていました。子どもの写真まで添付されていた。私への当てつけでしょうね。ひどく落ち込んでいるところにまたそんな報告を受けて、さらに気持ちが沈みました」
彼から追い打ちのひと言がありました。
「お金に困っていたら貸してあげますよって。悔しかった。そもそも彼が裏切ったからこうなったわけで、私だけ二度もひどい目にあわされる意味がわからない……」