裕福だったイギリス農民の生活

土地の所有者は自分に都合のいい雇用契約を押しつけたり、一方的に小作人を解雇したりできなくなりました。あらかじめ決めた固定的な率で長期間の契約を結ぶことが一般的になっていきました。

ヨーマン(独立自営農民)はもちろん、新たに土地所有者となった貴族や商人たちは自分の土地への投資に真剣に向き合いました。土地からの生産量が増えれば、収入増に直結したからです。また、長期契約の存在によって、小作人たちも生産性の改善に取り組みました。領主に納める収穫量が決まっているのなら、収穫を増やせばその分の利潤を自分の懐に収めることができたからです。

このような生産性の向上が数世紀にわたり続いた結果、18世紀のイギリスの農民は世界でも飛び抜けて豊かな生活を手に入れていました。

1737年にイギリスを旅したフランス人の神父ル・ブランは、イギリスでは農家の下男でさえお茶を飲んでから仕事にかかることに驚嘆しています。言うまでもなく、当時のヨーロッパでお茶は贅沢品でした。1778年にロンドンの市場を覗いたスペインの大使は、「ここで1ヶ月の間に取引される肉の量は、スペインが1年で食べる肉の量よりも多い」と書き残しています。

ここで思い出してほしいのは、産業革命が繊維業界から始まったことです。

労働者賃金の高さが産業革命を起こした

当時のイギリスでは、農民でもお茶のような贅沢品を消費できるようになっていました。年に1回はシャツを新調しようと考えるような、消費財の市場が成立していたのです。

また、産業革命における発明の数々が「労働を機械に置き換えるもの」だったことを思い出してください。

豊かになった農民たちは教育にもカネをかけるようになり、労働者たちはより高い賃金を求めるようになります。当時のイギリスは世界でもっとも賃金の高い地域でした。

じつを言えば、トマス・ニューコメンの発明した蒸気機関は(現在の水準でみれば)さほど性能のいいものではありませんでした。イギリスは泥炭(※泥状の燃料)がいくらでも採れる土地であり、燃料の価格を抑えられたこと。さらに賃金が高かったことから、労働者を雇うよりも、機械を使うことで利益を出すことができたのです。

ここから、古代ギリシャやローマが(必要な科学的知識を持っていながら)産業革命を起こせなかった理由も考察できます。これらの国々では奴隷制が根付き、経済を支えていました。労働力をほとんど無料で利用できたため、それを機械に置き換えるインセンティブが働かなかったのです。

安価な労働力を利用できることは、必ずしも経済成長に繋がるとは限りません。むしろ労働を機械に置き換える――生産を効率化する――インセンティブを奪い、経済の発展を阻害することに繋がるかもしれません。産業革命を起こしたイギリスの歴史は示唆に富んでいます。


■主要参考文献■
ダロン・アセモルグ&ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』
ウィリアム・バーンスタイン『「豊かさ」の誕生』
ウルリケ・ヘルマン『資本の世界史』
アンガス・ディートン『大脱出』