はじめに

シャーロック・ホームズが誕生した1880年代は、簿記理論が完成した時代でもありました。当時のイギリス・アメリカの経済を学ぶことは、簿記がなぜ今のような形に発展したのかを知るうえで欠かせません。

まずは、ホームズの時代までの概略を復習しましょう。


会社法の“マグナ・カルタ”

「会計士」と呼ばれる職業は18世紀以前からありました。専門知識が求められることも、古くから理解されていました。しかし、イギリスでは「泡沫禁止法」という法律によって会社設立が制限されており、議会の承認を得なければ起業できませんでした。そのため会計士の需要もそれほど大きくなかったのです。

とはいえ、産業革命華やかなりし時代です。新しい会社を作りたいという申請は日ごとに増していき、ついに議会のキャパを超えます。1825年に泡沫禁止法は廃止され、一定の要件を満たしていれば、議会の承認なしで株式会社を作れるようになりました。

新しい会社が増えたぶん、倒産の件数も増えました。

当時から、会計士たちは経理事務や保険事務、信託業務など幅広い仕事をしていたことが分かっています。しかし、一番の仕事は、破産・清算の処理でした。会社を倒産させてしまった債務者も、そこから少しでもカネを回収しようとする債権者も、会計については素人です。帳簿に並んだ数字を読み解ける専門家が必要とされたのです。

1831年には「破産法廷設置法」が制定され、官選破産管財人には会計士が選ばれることになりました。さらに1844年には「会社法」が制定されました。これは鉄道会社の粉飾や不正を取り締まるためのもので、「完全で真実な貸借対照表」の作成を要求していました。法的・制度的にも、会計士の存在感が増していきました。

以前にも書いた通り、1840年代には、現在まで続く会計事務所が次々に開業しました。さらに1854年、スコットランドでついに〝勅許会計士〟が登場。これが世界初の公的に認められた会計士――公認会計士――でした。

会社法は1862年に改正され、より包括的な内容になりました。この1862年の新法は、会社法の〝マグナ・カルタ〟とも呼ばれています。この法律には「附表A」と呼ばれる会計監査の模範例が示されており、多くの会社がこの附表Aを採用しました。また、株主ではない人間を監査役として選任できるようになりました。こうして会社ごとにバラバラだった監査会計の仕組みが統一されていき、さらに専門家による監査が可能になったのです。

簿記理論の完成

会計士への追い風は続きます。

1869年の破産法によって、裁判を経なくても破産時に容易に和解できるようになりました。これにより70年代以降は協議清算が増加し、破産に至るケースが激減。じつに破産による裁判は1/8にまで減ったと言われています。債務者と債権者の和解を仲介したのは、もちろん会計士たちでした。

しかし、当時はまだすべての会計士が〝勅許会計士〟だったわけではありません。素人同然の人間でも、会計士を名乗って開業することができたのです。当然、腕のいい会計士がいる一方で、いわゆる「ヤブ」もいたようです。この点は、日本の江戸時代の医者に似ていますね。

とある判事が1875年に残したセリフに曰く、「破産事件における一切の仕事は、会計士と呼ばれる無知のやからによって独占されてしまっているが、これはまさに法律に取り込まれた最大悪癖の1つ」だったそうです。世界初の公認会計士誕生から約20年、まだ多くの会計士が無免許のまま活動していました。

1878年10月、シティ・オブ・グラスゴー銀行事件が起きます。この銀行は1836年に設立されたスコットランドの有力銀行でしたが、1873年からの大不況により経営状態が悪化、78年についに破綻しました。この銀行では無限責任制を採用していたため、出資者である株主の多くが被害を受けて、大騒ぎになりました。破綻直前の貸借対照表には、多数の粉飾が認められたと言われています。

このままではいけないと、多くの会計士が考えたのでしょう。1880年、イングランド・ウェールズ勅許会計士協会が設立されました。現代と同様の、専門知識を持った職業集団としての会計士がついに誕生したのです。

1880年は簿記理論が完成した年としても記憶されるべきでしょう。

アメリカの会計士チャールズ・E・スプラグが著した教科書に、その理論が見られます。南北戦争後のアメリカではフランチャイズ化された職業訓練校が広まっており、その中で簿記教育も行われていたのです。

そもそも複式簿記の目的は、いったい何でしょうか? 何のために、私たちは複式簿記という記帳法を使うのでしょう?

スプラグはそれを、純資産Xの金額を算出するためだと定義しました。

まず、商売を始める以前の、委託も債務も発生していない段階を想像してみましょう。その時点では、純資産の金額は所有Hと一致するはずです。すなわち、以下の等式が成り立ちます。

H=X

ここでの「H」は、「what I Have」の略です。

続いて、商売を始めた段階を想像してみましょう。すると委託Tや債務Oが発生するはずです。「T」は「what I Trust」の略、「O」は「what I Owe」の略です。

この時の純資産Xは、以下の式で求められます。

H+T-O=X

この式を変形すると、以下のようになります。

H+T=O+X

これは「資本等式」と呼ばれ、現在でも簿記の教科書には(※多少の変形はあっても)必ず載っています。スプラグは「簿記とは何か?」という疑問に、徹底して代数学的な方法で答えたのです。スプラグは、続く1908年の著作で、自身の理論をさらに精緻化していきます。

シャーロック・ホームズの第一作『緋色の研究』が発表されたのは1887年。以降、20世紀初頭にかけて次々に作品が登場しました。ホームズの時代は、まさに簿記の理論が完成した時代でもあったのです。

■主要参考文献■
中野常男『近代会計史入門』
ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』
板谷敏彦『金融の世界史』

(写真:ロイター/アフロ)

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