はじめに
生地はずっしりしているのに、着ると軽い
オーダースーツと既製服は、生地の時点ですでに違います。
「うちは既製服のお直しもやっているんですが、既製服の場合、生地の破れの持ち込みが多いですね。オーダー品ではほとんどないことです。服地には、1m当たり数千円から数十万円と、びっくりするほど幅があります。何が違うかというと、打ち込み。縦糸と横糸の、簡単に言えば本数のことです。オーダー品用の服地は打ち込みがしっかりしていて、目がつまっているので丈夫ですが、打ち込みが弱い生地は、ペラペラで破れやすいんです」
そういう生地が、量販店の目玉品の激安スーツになるようです。でもしっかりした生地は重いから、肩が凝りそう……?
「きちんと仕立てれば、そうはなりません。“洋服は肩で着る”と言う通り、服の重さがきちんと肩に乗っていれば(製図的に言うN点)、着るとスッと軽くなるんです」
手仕事へのこだわり
さまざまな生地見本から表地を選び、裏地、ボタンを選び、襟の形、袖の形、ポケットの形や位置まで全部、注文主が決めていくのがオーダースーツ。実に贅沢です。
全身を採寸した後、その人専用の型紙を起こし、裁断→仮縫い→本縫い、と仕上げていきます。店内に、芯地を縫い付けている途中のジャケットがトルソーに着せられていました。アイロンで貼りつける接着芯とは違い、厚みのある本毛芯が手刺しで縫い付けられています。
「うちはこの作業はすべて手縫いです。芯だけでなく、可動域に関してはほとんど手作業です。ミシンと違い、糸が伸び縮みできる返し縫いは、着れば着るほど体になじんでいきます」
まさに、作る人の人生の時間が、一着一着のスーツに込められているのです。
10着分の価格、でも10年で元がとれる?
一般のビジネスパーソンがスーツにかけるコストは、「一着1万~3万9,999円」が全体の7割を占めている(インテージ、ビジネスパーソン意識調査『サラリーマンの仕事着事情』2010年10月調査による)ことを考えれば、30万円以上というオーダーの価格はかなり高額に感じられます。
しかし、昭和30年代、高卒初任給が2万円に満たない時代、筆者の舅(しゅうと)は月賦(ローン)を組み、7万円のスーツを仕立てています。スーツが質草※になる時代のことです。
現代の大卒初任給が20万円とすれば、現在のオーダー価格は決して高くありません。
既製品と違い、縫い代をたっぷりとってあるため、ウエストは最大10センチ出すことができ、体型の変化は織り込み済みです。質のよい生地なのでへたりにくく、ケア次第で20年は着ることができます。
その間ずっと、「シワのないスマートなスーツ姿の人」でいることができると思えば、賢い買い物かもしれません。
※質草(しちぐさ)…質に置く物品。しちだね。
初めてのオーダーは、スタンダードなデザインを
初めてスーツをオーダーする若い人のために、櫻井さんからアドバイスを。
「最初の一着は、スタンダードなものがいいです。色味は濃紺かグレーで無地。無地ならシャツやネクタイの色柄デザインで着こなしの変化がつけられます。シルエットも、あまり今風のものでなく、基本型を。襟はノッチドラペル一択。サイドベンツは乗馬服に起源をもつもので、ややカジュアルです。基本はやはりセンターベンツですね。型崩れさせないために、ポケットにはものを詰め込まないで。一日の終わりには、ハンガーにかけて洋服ブラシでホコリをとります。下から上に軽くなでてホコリを浮かせ、最後に上から下に向けて払いましょう。一日着たら最低二日は休ませて、通気性のいい場所に収納してください」。
すべてのスーツをオーダーで揃えるのは難しいかもしれません。しかし、体型的に既製服に合うものがない人、人前に出る仕事の人、ここ一番の勝負服が欲しい人は、一着誂えてみてはいいのではないでしょうか。長いビジネス人生のクオリティを上げるよき相棒となってくれそうです。
櫻井康二
千葉県船橋市「ROSEO FACTORY(ロゼオファクトリー)」代表。ミュージシャン、古着店経営を経て、家業の紳士服店を継ぐ。リメイクやオーダーシューズなど、手仕事を活かしたメンズファッションを提案する。