はじめに

江戸時代に紙幣が登場してからおよそ400年。その間、時代とともに紙幣は次々と進化を遂げていきました。

ここでは、その長い歴史や、記番号の秘密、紙幣の寿命など、知ると楽しいトリビアをご紹介します。


明治時代に発行された紙幣の中には今も使えるものも

紙幣が使われ始めたのは、今からおよそ400年前の江戸時代。伊勢商人の間で流通した「山田羽書(やまだはがき)」がその始まりと言われています。

江戸時代には金貨や銀貨および銭貨(銅貨)が流通していましたが、山田羽書は幕府発行の丁銀(ちょうぎん)と呼ばれる銀貨との引き換えを約束した証明書でした。山田羽書を発行した伊勢の御師(伊勢神宮に所属し、参拝者の世話をする人)は、実際に発行した羽書と交換できるだけの丁銀の蓄えがあったため、羽書の信頼性は非常に高いものでした。


(写真提供:日本銀行貨幣博物館)

これが伊勢山田羽書。現在の紙幣と違い、縦に長い形をしています。

1660年代になると、越前福井藩を皮切りに、各藩の中でだけ使える「藩札」という紙幣が流通するようになります。現在とは異なり、土地ごとに別々の紙幣が使われていたのです。


(写真提供:日本銀行貨幣博物館)

明治時代になり、政府が誕生すると、1868(慶応4)年に全国共通の政府紙幣「太政官札(だじょうかんさつ)」が発行されます。しかし専門技術がなくても複製できたため、偽札が大量に出回ってしまい国民には全く信頼されませんでした。

こちらが太政官札。確かにこざっぱりした印象。

1870(明治3)年、偽札が大量に造られたことを踏まえ、政府は新紙幣の製造をドイツの証券印刷会社に依頼します。当時の日本には、より細密な模様や絵柄を印刷する技術が無かったためです。

同じ頃、国立銀行が次々と設立されます。名前こそ「国立」ですが、民間資本を元にしており、国が経営しているわけではありませんでした。1871(明治4)年には、政府発行の紙幣とは別に、国立銀行独自の紙幣製造を、アメリカの証券印刷会社に依頼します。

左がドイツに製造依頼した政府発行の紙幣、右がアメリカに製造依頼した国立銀行発行の紙幣

1882(明治15)年、欧米の中央銀行制度にならい、日本銀行が設立されると、唯一の発券銀行として、国内の紙幣はすべて「日本銀行券」に統一されることになりました。以後、日本で流通する紙幣は、非常時を除いて全て日本銀行から発行されるようになります。

日本銀行から初めて1885(明治18)年に発行された旧壱円券・通称「大黒札」は、今でも使える最も古いお金です。1円として使用できます。

旧壱円券(大黒札)は青い色が特徴

日本銀行券は、1931(昭和6)年までは金や銀への兌換(引き換え)可能な紙幣でした。ところが1931年、世界恐慌のあおりを受け金の輸出が禁止されると、政府は「兌換」を停止。1942(昭和17)年には、兌換を行う金本位制から兌換を行わない管理通貨制へ移行し、「兌換」の文字を削除した紙幣を発行します。

実は、それまで世界的に、紙幣の価値は金貨や銀貨に裏付けされ、一国の紙幣の量は金の保有量によって決められる、金本位制が主流でした。しかし世界恐慌後は多くの国が、金の保有量と関係なく紙幣の量を調整できる、管理通貨制へと移行していきました。紙幣の価値は金の量とは関係なくなったのです。

やがて太平洋戦争が終結すると、機器の進歩に伴って、偽造防止技術をより多く取り入れた新紙幣が順次発行されました。その後も、偽造防止や、目の不自由な方に対する識別性を向上させるため、改良が進められています。2004年(平成16年)の、千円札・五千円札・一万円札の新紙幣発行が記憶にある人も多いでしょう。

2004年以前に発行されていた、夏目漱石が描かれた千円札

次は1枚の紙幣が流通する期間についてです。

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