生活

「太陽の沈まない国」がもたらした価格革命(1)

簿記の歴史物語 第32回

ルネサンス期までに複式簿記を完成させて商業で栄えたイタリアですが、その後、ヨーロッパの覇権を握ることはありませんでした。自治都市を中心とした小国の集まりであるイタリアは、スペインやフランスのような大国と軍事的に渡り合えるような地域ではなかったのです。

『スムマ』が出版された1494年は、奇しくもイタリアが歴史上初めてフランスの侵攻を受けた年です。さらにはスペインからも攻撃され、半世紀以上に渡りイタリアは戦乱の時代に突入します。1530年代の後半にはナポリ王国を通じてスペインに支配されるようになりました。[1]

16世紀は、スペイン帝国がヨーロッパの覇権を握った時代です。16世紀後半にはポルトガルを併合し、そのアジア植民地も手に入れました。こうしてスペイン帝国は「太陽の沈まない国」となります。世界中に植民地があるので、24時間いつでも領土のどこかに太陽が出ているという意味です。

スペイン帝国興隆の背景には、新大陸で採掘された大量の金銀がありました。彼らは南北アメリカのインディオの王国を滅ぼしたのみならず、ヨーロッパ側の経済にも無視できない傷跡を残しました。それが「価格革命」です。

では、スペイン帝国の盛衰を追いかけてみましょう。


スペインの誕生

現代の私たちは、ヨーロッパと聞くと「キリスト教の地域」をイメージします。しかし、これは歴史上の最近の姿を見ているからに他なりません。

7世紀に誕生したイスラム教は、アフリカ大陸の北側、地中海沿岸に広まりました。イスラム教国家はジブラルタル海峡を渡り、8世紀の初頭には現在のスペインまで征服します。[2]

11世紀の初頭には、イベリア半島の3分の2はおよそ20のイスラム公国によって統治されていました。[3]

10世紀から15世紀末まで、イベリア半島はイスラム勢力排除の戦いの舞台となりました。キリスト教国家によるこの再征服戦争のことを、まとめてレコンキスタと呼びます。スペインはこの動乱のなかで生まれたのです。

1469年、アラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イザベラが結婚しました。2つの王国の統合によって誕生した新たな国は「イスパニア」と名付けられました。これがスペインの始まりです。

彼らは1492年、ヨーロッパ側に最後に残ったイスラム王国であるグラナダを滅ぼしました。こうしてレコンキスタは幕を閉じます。また1492年といえば、コロンブスが新大陸に到達した年でもあります。スペインによる世界制覇への第一歩が踏み出されたのです。

その後、フェルナンドとイザベラの次女フアナが結婚したことで、スペイン・ハプスブルク家の版図はさらに広がりました。彼女の夫であるフィリップ(フェリペ1世)は、オーストリア大公であり後の神聖ローマ皇帝マクシミリアンの息子だったのです。

※余談ですが、神聖ローマ帝国とは、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を当時支配していた国家です。古代のローマ帝国とは、直接の繋がりはありません。フランク王国を統一したカール大帝が、西暦800年にローマ教皇レオ3世からローマ皇帝の帝位を認められたことに端を発しています。ポイントは、まだ東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が存続していた時代だったことです。この「カールの戴冠」により、ローマ教会はビザンツ帝国と決別。キリスト教世界は、11世紀にはローマ・カトリック教会とギリシア正教会に分裂しました

フアナとフィリップの間に生まれたのが、スペイン国王カルロス1世でした。彼は神聖ローマ皇帝の地位も引き継ぎました(※神聖ローマ帝国ではカール5世を名乗りました)。スペイン帝国が最盛期を迎えたのは、彼と、その息子フェリペ2世の時代です。

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