はじめに
兜町の由来は兜神社。では兜神社の由来は?
では最後に日本の中心的金融街である兜町の語源を探りましょう。兜町は東京中央区にあり、日本橋川の南側に接する区域のこと。その正式な町名を「日本橋兜町」(にほんばしかぶとちょう)といいます。かつてこの地が鎧ヶ島(よろいがしま)と呼ばれていたことから「島」との俗称もあります。東京証券取引所があることでも有名ですが、この地は、日本で初めての銀行である第一国立銀行の創立地でもありました。
さてこの兜町の語源は、東京証券取引所の北側にひっそりと建つ兜神社にありました。ではその兜神社は、どうして兜神社と名付けられたのでしょうか。実はこの神社の境内に実在する「兜岩」が由来になっているのです。
兜岩の由来についてははっきりしたことが分かりません。しかし日本取引所グループ(東京証券取引所を参加に持つ持株会社)のウェブサイトでは3つの説を紹介していました。第一は「源義家(みなもとのよしつね)が奥州から凱旋した際、記念として兜を土中に埋めて塚(兜塚)を作った」とする説。第二は「源義家が奥州征伐に向かう際に、岩に兜をかけて祈願した」とする説。第三は「藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が平将門(たいらのまさかど)の首を打ってその首を京都に運ぶ際、供養のため兜を土中に埋めて塚を作った」とする説です。いずれも戦が絡んでいる点で共通しますね。
そして明治時代に兜岩が現在の場所に移された際(1871年)、同じ場所に移された鎧稲荷と合併する形で兜神社が誕生。同じ年、三井家(明治維新以後、同地の地主となっていた)の当主が兜町との地名を東京府に願い出たことが、町名の始まりになったといいます。
金融街の語源・歴史に潜む「防御」の記憶
ということで今回は、世界の代表的な金融街であるウォール街、シティ、兜町の語源について探ってみました。それにしても興味深いのは、3つの金融街のいずれの語源・歴史にも「戦(いくさ)」の痕跡があるということ。まずウォール街、シティの双方に、実際の「壁」が存在したことが興味深く感じられます。またこれらに兜町の「兜」のエピソードも加えると、いずれも「紛争上の防御」の要素が絡んでいたことにもなります。
これらの共通点が、金融街の「何」を象徴しているのか。自由に妄想してみるのも楽しいかもしれません。今回は金融街の語源について紹介しました。