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なぜ日本は経済大国になれたのか(後編)――戦後日本の「ビッグプッシュ型」経済

簿記の歴史物語 第38回

なぜ戦後日本は成長できたのか

戦後日本の「ビッグプッシュ型」経済は、明治期とは真逆の発想でした[21]。安い労働力でも利益を出せるように資本(=機械)をさらに格安で利用できるよう工夫するのではなく、高度に資本集約的な――要するに高額の――最新鋭の生産技術・設備をあえて導入したのです。

これは、いわゆる「規模の経済」を考えると分かりやすいでしょう。

あらゆる製品は、生産規模が大きくなるほど1個あたりの費用が安くなります。職人がほぼ手作業で組み立てるフェラーリよりも、機械化された工場で大量生産されるカローラのほうが安く作れます。

反面、規模の経済にも限界があります。生産規模が一定を超えると、1個あたりの費用が下がりにくくなることが知られているからです(収穫逓減)。その規模を超えた工場を作ってしまうと、利益が減ってしまうのです。

したがって、あらゆる産業の工場には「製品1個あたりの平均費用を最小にできる生産規模」が存在することになります。これを最小効率生産規模といいます。

戦後日本の戦略は、最小効率生産規模の工場をたくさん作らせることで――ときには最新技術を導入してその規模を押し上げることで――国民の所得を上げながらも、国際市場で競争力のある格安の製品を生み出すことでした。

たとえば鉄鋼業の最小効率生産規模は、1950年には100~250万トンでした。当時の日本でこの規模を持つのは八幡製鉄所のみで、残りの製鉄所はより小さく、効率の悪い設備で生産活動を行っていました。そのため、当時の日本は低賃金だったにもかかわらず、日本産の鋼鉄は欧米産のそれに比べて50%も割高だったのです[22]。

こうした非効率な工場を最新鋭のものに置き換えることが、日本政府の狙いでした。これらの計画を推進したのは、通商産業省(現・経済産業省)です。

戦後すぐに傾斜生産方式が採用され、石炭と鉄鋼にお金が優先的に配分されたことはすでに書いた通りです。ここに電力と海運を加えて、四大重点産業と見なされており、融資などの面で優遇されていました[23]。通産省はこの政策を引き継ぎ、さらに1955年には機械工業や電気機械工業を新たな重点産業として取り上げました[24]。

政府はこれらの産業に低金利の資金を供給するだけでなく、各業界に合理化計画を策定させました。さらに、業界の計画よりも強気で生産と輸出を伸ばすよう指導したのです。こうして日本の製造業は、熟練工による少量生産から工場のベルトコンベアによる大量生産へとシフトしていきます。

こうした指導が功を奏し、1950年代後半には各業界で積極的に設備投資が行われるようになりました。また、業界内での競争が激化したことも設備投資の増大につながりました[25]。

たとえば自動車業界では、トヨタのクラウンに対抗して日産はセドリックを開発し、日産のブルーバードを打ち負かすためにトヨタはコロナを発売しました。こうして自動車大手2社は小型車から大型車までの全面競争に突入し、マツダなどの他社も生き残るためには全車種を開発せざるをえませんでした。このような状況で生産設備が増強されないはずがありません。

1960年に所得倍増計画が発表されると、産業界はさらに強気になりました。GNPを2倍にするという下村治の計画を信じたのです。将来の需要の伸びを期待して、各社はいっせいに設備投資を増やしました。これに応じるためには、機械、鉄鋼、セメントなどの産業は生産を増やさなければならず、自らも設備投資が必要になります。設備投資が設備投資を呼ぶ状況になったのです[26]。

太平洋側の沿岸には大型の石油コンビナートが次々に建設され、石油化学工業が急成長しました。日本の風景は変わり、東京から小田原までの地域に田畑はほとんど見られなくなり、上野から高崎まで工場が立ち並ぶようになりました。カメラ、ミシン、時計などの精密機械工業は、新たな輸出産業となりました[27]。

以上のように、戦後日本の急成長は政府主導による計画経済――「ビッグプッシュ型」経済――によってもたらされました。その内容は、資本集約的な設備を積極的に導入することで、生産の増大と、国民の生活水準の向上とを同時に達成するというものでした。

一例として自動車産業を見てみましょう。

1950年代の自動車組立工場の最小効率生産規模は年間20万台ほどで、フォードなどのアメリカのメーカーはこの規模で自動車を作っていました。

一方、最新の技術を貪欲に吸収した日本の自動車工場は、1960年代には最小効率生産規模を年間40万台にまで引き上げることに成功しました。ホンダやトヨタのような大手企業では、年間80万台に達することさえありました[28]。

つまり、1年で80万台を製造するときに1台あたりの費用をもっとも安くできる工場を持っていたということです。破格の生産能力です。

こうして日本の製造業は、高賃金を払いながらも製品に競争的な価格をつけられるようになったのです。日本は(少なくとも経済規模では)先進国の仲間入りを果たし、江戸時代には想像もできなかったような豊かな生活を、私たちは手に入れたのです。

■参考文献■
[10]ロバート・C・アレン『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』NTT出版(2012年)p169
[11]ロバート・C・アレン(2012年)p177-178
[12]ロバート・C・アレン(2012年)p179
[13]中村隆英『昭和史』東洋経済新報社(2012年)下p548-549
[14]中村隆英(2012年)下p592
[15]中村隆英(2012年)下p651-654
[16]中村隆英(2012年)下p663-664
[17]中村隆英(2012年)下p671
[18]中村隆英(2012年)下p669-670
[19]中村隆英(2012年)下p674
[20]中村隆英(2012年)下p673
[21]ロバート・C・アレン(2012年)p183
[22]ロバート・C・アレン(2012年)p184
[23]中村隆英(2012年)下p592
[24]中村隆英(2012年)下p597-598
[25]中村隆英(2012年)下p655-657
[26]中村隆英(2012年)下p665
[27]中村隆英(2012年)下p666-667
[22]ロバート・C・アレン(2012年)p186

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