ローマ数字からインド=アラビア数字へ

東方からもたらされた知識のなかでも、とくに重要なものはインド=アラビア数字でしょう。1~9の数字はもともとインドで使われており、中東で0が加わりました[2]

この数字をヨーロッパに紹介したのは、レオナルド・ピサーノです。「フィボナッチ」という別名のほうがよく知られています。彼が1202年に出版した『Liber Abaci』には、インド=アラビア数字を使った四則計算をはじめ、さまざまな算術の基本が書かれていました。現在の私たちから見ればごく当たり前の内容でも、当時のヨーロッパ人にとっては最先端の知識だったのです。あの有名な「フィボナッチ数列」も、本書に登場します[3]

ヨーロッパでは伝統的にローマ数字が使われていました。異教徒のものであるインド=アラビア数字は、カトリック教会から敵視されました。かなり遅い時代になっても、ヨーロッパの公的な書類にはローマ数字が使われ続けました。

それでもインド=アラビア数字が広まったのは、ずっと効率的で便利だったからです。

『Liber Abaci』では、ローマ数字とインド=アラビア数字の対比が例示されています。

1001 ← MI
2023 ← MMXXIII
3022 ← MMMXXII
3020 ← MMMXX
5600 ← MMMMMDC
3000 ← MMM
1111 ← MCXI
1234 ← MCCXXXIIII
4321 ← MMMMCCCXXI

こうして並べてみると、違いは一目瞭然です。インド=アラビア数字には「ケタ」の概念があるので、同じ数字を端的に表現することができます。

さらに重要なのは、インド=アラビア数字では筆算が可能であることです。それまでのローマ数字では、計算にはアバカス(※西洋そろばん)が必須でした。掛け算や割り算は、専門的な知識を要する特殊技能でした。しかしインド=アラビア数字を使えば、誰でも1枚の紙のうえで計算を完結させられます。この実用性の高さから、北イタリアの商人たちはインド=アラビア数字を好んで使うようになりました。

インド=アラビア数字への反発

13世紀のヨーロッパ人にとって、インド=アラビア数字は鮮烈なイノベーションでした。そして、いつの時代にもイノベーションには反発がつきものです。数字も例外ではありません。

たとえば哲学者のロジャー・ベーコンは新しい数字の便利さに心打たれ、すべての科学の基礎として、大学教育の要として、そして神学者に欠かせない教養として広めようとしました。その結果、彼は教会に魔術師として告発され、終身刑を言い渡されてしまいました。

また、イタリアの両替商のギルドは1299年、インド=アラビア数字の使用を禁じました。ドイツのフライグルブでは、ローマ数字か文章で記述されていない負債の証明書は無効であるという法律が1520年に制定されています。スコットランドでは17世紀までローマ数字が使われていました[4]

現在の日本でも、かたくなにExcelを使おうとせず、電卓だけで仕事をする人がいるそうです。嘘か本当か分かりませんが、今まで一日がかりだった仕事をExcelで数秒で終わるようにしたところ、上司から「ズルをするな」と叱られた……なんて話も耳にします。ヨーロッパで華々しくデビューしたインド=アラビア数字でしたが、一部の人々からは激しく反発されました。こんなところでも、歴史は繰り返すようです。

北イタリアで複式簿記が発達した要因には、早い時代からインド=アラビア数字が広まったことが挙げられます。しかしもう一つ、重要な背景がありました。それは公証人制度が普及していたことです。これについては次回の記事でお話ししましょう。

■参考文献■
[1]ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』文藝春秋(2015年)p34-36
[2]ジェーン・グリーソン・ホワイト『バランスシートで読みとく世界経済史』日経BP社(2014年)p23
[3]橋本寿哉『中世イタリア複式簿記生成史』白桃書房(2009年)p57-62
[4]ジェーン・グリーソン・ホワイト(2014年)p43
[5]ジェーン・グリーソン・ホワイト(2014年)p29-30