はじめに

中学受験の中心となる塾の存在

<モリの目>(森上展安)

タカの目さんの今回のテーマは中学受験生の生活の半分、もしくは精神的には過半を占めているかもしれない塾の滞在時間を取り上げていただきました。

モリの目としても若き日に10年程、中学受験塾を運営していましたし、その後も今に至るニューズレターを発行したりセミナーを開いたりで、いわば一つのホームグラウンドでもあります。

主要な塾はご指摘のような比較的長尺の滞在時間で講義を受けますし、これに加えて、演習というべきテストと解説というような時間も別日にセットになっているのが通例ですから、それらを合わせると「×2」では済まなくて「×3」や「×4」にもなってしまっています。

更にこの講義のフォローや演習のフォローを個別指導塾や家庭教師にお願いすることも、塾によっては多くのご家庭が普通のことのように対応しているケースが見られます。

これらは一般入試のケースですが、別にご指摘のような公立一貫校の適性試験向けケースはこれより短く、かく指導期間も多くて2年くらいが設定されているように思います。

帰国子女や発達障害の子など塾にも多様性が求められる

それと最近は帰国子女への入試対応があります。多くは海外の現地での受験指導がメインで、入試の際に一時帰国して受験するので、いわば一般的な日本での塾の海外版になります。

ただし、帰国子女入試は一般入試枠とは別に入試解禁日が設定されフレキシブルな対応がなされているので、一般入試と比べて出題問題も緩やかなものと言えると思います。もちろん、一般入試と同じ試験で受け付ける学校も少なくありませんから、まさに受験生の状況に応じて「多様」です。

そして未だ未だ中学も塾も受け入れが十分とはとても言えないのが発達障害児童の受験です。

近年は発達障害がメディアなどで大きく取り上げられるようになり認知が進んできましたから、受験生の保護者も以前よりその特徴に気付くことが多くなったことや、医療機関も以前に比べれば多くなっていることもあり、塾の中でも発達障害対応を謳っているところも散見されます。

とはいえADHDやASDなどの発達障害は特に学習塾のように学習面だけの接点では通常児と特に対応を変える必要はないので、むしろ気付かないか気付いたからと言って特別な対応をするということでもないということも実際的な事情です。

なので塾の問題というより生活面での対応が要求される中学校で思春期に入った時点に適切な対応が必要とされるため、中学校選択の問題という形で中学受験では課題になっています。

長時間のトレーニングが「教育虐待」となる危険性

さて、中学受験はいわばこれ程に時間を費やす必要があるのかということが「教育問題」として考えるべきところがありますが、最近メディアに上ったトピックで言えばやはり「教育虐待」というテーマになると思います。

中学受験に限らずスポーツなどでもそうですし、一子相伝ではありませんが芸術家の後継ぎの教育などは、やはり長時間のトレーニングが前提とされています。

AI議論の中では、ITリテラシーが今のような学習の方法と時間では全く歯が立たないのではないかとも言われます。

つまり相当数の時間を割かなければ習得できないことに対して、誰がいつどのような判断で子どもに教育を授けるかということと、そのことが子どもにとって心的に受け入れられるのかどうかという問題です。

さてその議論には深入りできませんが、少なくともそこで反射的に考えられている「学校」という存在について、そこでなされることは動機付けであり、概論であり、入口であるということです。

それに対して塾のような機関は更に深く徹底して目的意識的に習得するところだということです。

苦痛ではなく試練と受け取れるか

したがって、塾での学校が苦痛のようなものでなく、「試練」として受け止められる心的な状況でないと学習として成立しないということは言えるでしょう。親としては十分注意しなければならないことであり、とりわけ発達障害の場合は過剰適応という側面があるので一層注意深い観点が親のみならず関係者が注意する必要があります。

こうした長尺のトレーニングをする場合、常に離脱の自由を持っていることを頭の中に意識しておくことが最も重要なことです。米国の学校はトランスファーといって習得単位を持ったまま他校に移動できますが、いわば塾はそこが持ち味で、受験生に移動と離脱の自由があるのが救いなのです。

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