はじめに

投資先としての海洋貿易

公証人たちの残した膨大な契約文書のなかでも、現存する最古のものにアンサルド・バイアラルドの名前が記されています。インゴ・ダ・ヴォルタからの資本拠出を受けて、彼は1156~1158年の2年間に3回の航海を行いました。

第1回の航海は、1156年の夏です。インゴ・ダ・ヴォルタが205リラ4ソルディ1デナーロの資金を拠出した一方で、アンサルドは一銭も支払っていません。この航海では74リラの利益が出ました。契約に基づき3対1の比率で、インゴに55.5リラ、アンサルドに18.5リラの利益が分配されました。

この利益を元手に、第2回の航海が行われました。インゴが254リラ14ソルディ1デナーロを拠出した一方、今回はアンサルドも18.5リラを拠出しました。彼は第1回の航海で分配された利益を、すべて第2回の航海につぎ込んだようです。結果、第2回の航海では244リラを上回る素晴らしい利益が出ました。インゴには約171リラ、アンサルドには約73リラが分配されたと推計されています。

第3回の航海では、インゴが計412リラ以上を出資する一方、アンサルドも約64リラを出資しました。第1回のころに比べて、倍以上の大口の商売です。この航海では約283リラの利益が上がり、約204リラがインゴに、約78リラがアンサルドに分配されました。

これら3回の航海を経て、インゴ・ダ・ヴォルタは当初の投資額の3倍以上に資本を増やし、出資ゼロからスタートしたアンサルド・バイアラルドは170リラを超える利益を得ました。たとえ海難事故のリスクがあっても、富裕層にとって海洋貿易は不動産等よりも魅力的な投資先でした。また、アンサルドのように資金力のない者でも、自らの才覚次第で財を成し、お金持ちになることができました。

インゴとアンサルドがどんな人間関係を築いていたのか、私には分かりません。

しかし、残された取引の記録を見れば、こと商売において固い信頼で結ばれていたのは間違いないでしょう。「この人なら自分を応援してくれる」と信じたからこそアンサルドは出資を求め、「この船乗りなら航海を成功させられる」と信じたからこそ、インゴはカネを出したのです。莫大な利益に祝杯をあげる2人の笑顔が、目に浮かぶようです。

信頼関係のための正しい記録

封建社会では、人々は血縁に縛られ、貧乏人の家に生まれた人は死ぬまで貧乏でした。ところが12世紀半ばのジェノバでは、早くもその社会が崩れ、新しい時代が始まっていたようです。能力次第でいくらでもカネと自由を手に入れられる、そんな時代が幕を開けたのです。

公証人制度の重要性はその後も薄れることなく、現代まで続いています。反面、商取引はより大規模に、より複雑になっていき、公証人に頼るだけでは間に合わなくなりました。このような背景のなかで、より簡便に、より緻密な記録を残す必要に迫られ、やがて複式簿記の発明へと結実しました。

複式簿記がほぼ完成するのは13世紀末~14世紀です。しかし、その1世紀以上前から北イタリアでは公証人制度が広まり、取引をきちんと記録に残すという習慣が根付いていました。皇帝や王様のいなくなった自治都市で、人々は権威に頼ることができなくなりました。新しい自由な社会のなかで、お互いを信頼する方法として、彼らは「正しい記録をつけること」を選んだのです。

■参考文献■
【主要参考文献】
橋本寿哉『中世イタリア複式簿記生成史』白桃書房(2009年)p81-114
[1]https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/statistics/data/white_paper/2016/1-1-1_tokei_2016.pdf
[2]https://mainichi.jp/articles/20160226/k00/00e/010/111000c

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