はじめに
ベルリンの壁が崩壊してから、今年で30年。統一を果たしたドイツは、旧東ドイツ地域が抱えていた低成長や高い失業率といった“負の遺産”を見事に克服し、欧州屈指の経済大国へ飛躍を遂げました。
1990年代から2000年代初頭にかけては「欧州の病人」などと揶揄される存在でしたが、ゲアハルト・シュレーダー前首相時代に大胆な労働市場改革に取り組んだことなどが奏功。後継のアンゲラ・メルケル首相の時代になって、「奇跡の回復」を実現しました。
そのドイツが今、試練に直面しています。同国の変調は欧州連合(EU)圏、ひいては世界全体の経済にも影響を及ぼしかねません。ドイツで何が起きているのでしょうか。
「景気後退」スレスレの状況
1989年12月。筆者は壁崩壊から1ヵ月が経過したドイツ・ベルリンへ足を運びました。壁自体はまだ残っていましたが、中心部のブランデンブルグ門近くの壁で警備にあたっていた兵士の表情は穏やか。市民や観光客などの呼び掛けにも気さくに答えていました。東西冷戦の終結が近いことを実感した瞬間でした。
「あれほどすばらしい光景を目にしたのは生まれてから初めて」――。取材した市民の1人は、東西両ベルリンの人たちが壁の上で肩を組み、崩壊を祝って踊り明かした様子をそう振り返りました。
同年8月、ハンガリーが「ピクニック計画」と称して旧東ドイツ国民をハンガリー・オーストリア国境付近の地域に集め、同国境を開放したことで自由を求める東側の人々が西側へ殺到。それを機に歴史は大きく動き出し、約3ヵ月後の11月9日の壁崩壊へとつながったのです。
あれから30年。欧州屈指の経済大国となったドイツの今年7~9月期のGDP(国内総生産)は前期比0.1%増。同年4~6月期のGDPは同0.2%減とマイナス成長に陥っており、7~9月期も2四半期連続のマイナスになれば、定義上は「景気後退」になるところでした。かろうじて後退局面入りを免れた格好ですが、厳しい状況に変わりはありません。
基幹産業に押し寄せるリストラの波
低空飛行が続いているのは、輸出の不振が主因です。米国と中国の通商摩擦の激化で、製造業の生産が大打撃を受けました。
ドイツは「輸出大国」。GDPに対する輸出の割合は48%に達し、ライバル国であるフランス(31%)を上回ります。輸出を牽引してきたのは自動車、化学、工作機械などの産業です。中でも自動車業界にはBMW、フォルクスワーゲン、高級車のメルセデスベンツでおなじみのダイムラーなど、世界に知られるメーカーがズラリと顔をそろえています。
しかし、世界の自動車市場は米中貿易戦争の余波で急速に縮小。特にドイツが依存の度合いを高める中国市場の冷え込みは深刻で、10月の新車販売は16ヵ月連続の前年実績割れとなりました。
ドイツの自動車メーカーは電気自動車(EV)への対応の不十分さも指摘されてきました。ディーゼルエンジン車にこだわりすぎていたのが原因ともいわれています。
遅れていたEVの領域へシフトするのに伴い、フォルクスワーゲンやダイムラーが相次いでリストラ策を発表。9月には、世界2位の自動車部品メーカーである独コンチネンタル社も、ドイツの2工場を含む世界7工場の閉鎖などの合理化策を明らかにしました。
リストラの波は、自動車産業を支える化学メーカーにも及んでいます。世界最大のBASFは6月、2021年末までに全世界で6,000人の従業員を削減することを公表しています。