はじめに

現代につながる出入国管理の始まり

1347年、イタリアのシチリア島で最初のペストが発生。アジアから運ばれてきた毛布に付着していたノミが原因だといわれています。以降ヨーロッパで展開された「地獄」についてはもはや語るべくもありませんが、その過程でペストが伝染病であり、人の移動を制限することで感染拡大を封じられることが、ある程度わかってきます。

そうなるとコロナ禍の現代と同じことが起こります。グローバル社会に制限をかけようという動きが広がっていったのです。

自由な交易や旅行が制限され、陸路では商品の厳しい管理がなされるようになりました。また「衛生通行証」を取得し、ペストに感染していないことを証明しないと入域できない都市が増えていきます。PCR陰性証明書がないと海外渡航できない現在とそっくりです。

各地の港では交易の船が足止めされました。船員は沖合や島などに隔離され、40日間の拘留が義務づけられたのです。この期間を経て、ペストを発症しなかった人間だけが、港や街に入ることができました。これもやはり、海外に渡航したり、海外から帰国した場合に15日間の隔離が求められるコロナ禍社会と同じです。

こうしたペスト対策はイタリア北部から始まりました。そのため「40日間」を意味するイタリア語北部の方言「Quarantina」がヨーロッパに広まっていきます。やがて「Quarantine」という英語になり、「検疫」を表す言葉として世界的に定着し、国際空港でもおなじみの存在になりました。現在の出入国手続きでも必ず目にする検疫は、ペスト禍から生まれたのです。

20世紀にはインドでもパンデミックが

その後ペストは19世紀になるとアジアで流行します。1899年には日本にも上陸。中国やインド、東南アジアなどにも広がっていきましたが、その背景には植民地政策があります。列強諸国がアジア各地を植民地として「経営」する中で、交通インフラが整備され、都市化が進み、相互の往来はより激しくなりました。やはりグローバル化がペスト菌を拡散させたのです。

ペストは抗菌薬による治療が確立した現代でも、たびたび発生しています。1994年にはインド西部の街スーラトでペスト禍が起こり、5000人が感染、50人が死亡。街を脱出する市民が続出し、インドを発着する航空機はストップし、国境は封鎖されました。こうした経験を積み重ねてきたからこそ、今回のコロナ禍でも比較的迅速に、どの国も入国制限を敷いたのでしょう。

人を滅ぼすかに思えたペストも、時間はかかりましたが収束し、その後はより広く深くグローバル社会は拡大していきました。アフターコロナもきっと、世界は緊密化し、互いの結びつきをさらに強めていくのではないでしょうか。

この記事の感想を教えてください。