はじめに
「肩書き」に囚われない
入社して何年か経つと、役職に差がついてきて、明らかに優秀ではない同期社員のほうが先に出世する、なんてこともあり得る。残念ながら、必ずしも正しい実績や能力が公平に評価されるとは限らないのが組織というものだ。
すると次第に、出世競争に後れをとった悔しさと鬱々たる葛藤により、転職への「動機」が刺激されていくらしい。そんなとき、役職を餌にヘッドハンティングされ、喜び勇んで転職したとしても、「役職=高待遇」とは限らないので、落ち着いた判断が必要だ。
だいたいが、名刺上の肩書きなど、組織によってそれぞれ役職の“重み”が違う。入社3年足らずでマネージャーに昇格してしまう成果主義の組織もあれば、10年頑張っても主任にすらなれない年功序列の組織もある。事業部長より支店長のほうが偉い組織もあれば、支店長より課長のほうが偉い会社もある。
だから、転職するときに、「肩書き」なんか重要視したところで意味がないのだ。
あなたの出世欲を否定するつもりはないし、対外的に見栄を張りたい気持ちもわかるが、「肩書きの世界」に囚われて働いていること自体、もはや“本当の出世”は見込めない。
そもそも、少しくらい出世が遅れたからといって、そのたびに落ち込んで「転職」を考えていたら、サラリーマンなどやっていられない。そういう人は、すぐに起業すべきなのだろうが、どうやら一足飛びに「社長」を名乗るのは恐いらしい。
本来、肩書きよりも大切にすべきなのは、魅力ある”志事”の中身だ。ビジネス上の目的を実現するために必要な”権限”であるなら、肩書きはなければならないが、あなたの虚栄心を満たすためだけに、そのポジションを求めたところで、たいした成果はあげられない。
転職するにあたり、「あなたは弊社で、いったい何ができますか?」と、面接官から問われたとき、一番恥ずかしいのは、「部長ができます」「管理職が得意です」という“終わった人”である。さりとて、現職での肩書きが、転職のテーブルにおいて多少は有利に働くこともあるだろう。だがやがて、その”本性”は見抜かれてしまう。
お飾りの「なんちゃってポジション」に固執しないこと。偽者ブランドを捨てること。その生き方を貫けば、やがて大きな“勲章”が手に入るはずである。