はじめに

うつを抜けて気づいたこと

ただ、人に勧めることはできませんが、今では当時のことを「自分と向き合ういい機会だった」と振り返ることができるようになりました。“心の棚卸”をしたんだな、と。あんなしんどい思いはもうしたくないですけどね。

――“心の棚卸”とはどういった変化でしょうか?

作中で精神科医のゆうきゆう先生がおっしゃっていたように、うつ病の一因は認知のゆがみにあります。なにか悪いことが起きると、自分に原因があると思ってしまう“思考のクセ”ですね。この、うつになりやすい思考のクセに変化が現れました。

以前の僕は、朝出かけるときに玄関でつまずくと、その日は一日不運だと感じてしまうようなタイプでした。今日は運がないから、なにをしても無駄だと自暴自棄になることもしばしば。

ですが、そういった考え方が変わった。一見、不運に思えるいくつかの出来事も、なんの因果関係もない、バラバラの事象だと捉えることができるようになりました。そう考えるようになって非常に楽になりましたね。

――うつを抜けてから視点が変わるというのは、再発を防ぐためかもしれませんね。

そうですね。うつを抜けてからは“こっちに行くと、うつのトンネルあるぞー”という風に、自分の状態がわかるようになりました。

また、自身がなにかで成功できたときも、「自分だけじゃなく、いろいろな人と密接に絡み合ってできているな」と感じることが多くなったように思います。

うつトンネルで苦しんでいる人を引っ張り上げたい

――その考え方の変化の影響なのでしょうか、『うつヌケ』からは、うつ病で苦しんでいる人を救いたいという強い思いを感じます。

そもそも、この作品を書こうと思った根っこには、自分と同じようにうつトンネルでつらい思いをしている方を、どうにか一人でも救いあげられないか、という気持ちがあります。

前述したように、自分が経験してはじめて、どれだけしんどい病気なのかがわかった。その経験があるからこそ、活字はつらい人でもマンガであれば読みやすく理解もしやすいと思ったのです。

作品も、僕自身がうつ病を体験したからこそ、いいものに仕上がったという自信が持てるものになりました。

自分が経験しないまま取材だけをしても、こんな風には描けなかった。実際のつらさがわかるからこそ、暗黒トンネルを抜けた人々に寄り添いながら、深い質問ができたんだと思います。

また、たまたま運がよく、いい作品が書けたというよりも、うつ病だったころは濁った寒天に包まれたようにうまく頭が回らない状態だった脳が開放されたことで、作品に集中することができたのかもしれません。画面の隅々まで気が配れたり、前向きに取材したり、クオリティにこだわることができました。

連載の担当編集さんもうつ病経験者だったということもあり、非常に強い信頼関係のもとで制作できたこともよかったです。

――『うつヌケ』のなかには壮絶な体験談もありますが、田中さんの絵によって、重い気持ちになりすぎず、ですが真摯に内容を受け止めることができます。

僕は複数の漫画家さんのパロディ作品をよく描くのですが、この作品には印象のやわらかい手塚治虫さんタッチのまるっこい絵がいいな、と思いました。

壮絶な話でも、やわらかいタッチで描けば、その衝撃をやわらげることができる。

読者としてうつ病の方を想定しているからこそ、読後に暗い気持ちにならないようにしたかった。とんでもなく壮絶な内容を取り上げても、できるだけそう感じさせない絵作りが必要だと考えたんです。

実際、作中にはうつ病をキャラクター化した“うつ君”という物体が登場するのですが、見た目はまんまるく、まるでおもちのよう。抜けていく時も、空に飛んでいくようなかわいらしい感じにしました。

――『うつヌケ』には16人のうつ脱出者のエピソードと精神科医のレポートが収録されています。文章だけでこれだけの体験談を読むのは大変ですが、漫画なので楽しみながらうつ病について知ることができました。

どうやってうつ病を抜けるのかは、本当に人それぞれ。だからこそ、さまざまなケースを知って、自分なりの道を探すことに意義があると思います。ぜひこの本を足掛かりにしてください。

◆田中圭一氏 プロフィール
1962年、大阪府生まれ。手塚治虫や藤子不二雄の絵柄を取り入れたパロディを得意とする漫画家。サラリーマンとの兼業でもある。京都精華大学マンガ学科ギャグマンガコース特任准教授。近著に『田中圭一のペンと箸 -漫画家の好物-』『Gのサムライ』など。


『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』 田中圭一 著


累計33万部突破! パロディマンガの巨星である著者自身のうつ病脱出体験をベースに、うつ病からの脱出に成功した人たちや専門家を含む17人を取材しコミックに。“明日は我が身”である心のガン・うつ病について多くの実体験から知識を学べ、かつ悩みを分かち合える、画期的なドキュメンタリーコミック!

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