はじめに
2021年5月、中米のエルサルバドルでビットコインが世界で初めて法定通貨として認められました。エルサルバドルは人口600万人程度の小さな国で、国内では米ドルが一般に流通しています。この国では9月から国民が米ドルに加えてビットコインを通貨として使うことができるようになる予定です。米ドルとビットコインを交換するためのATMも各地に設置されます。
このニュースはあくまで小国での出来事でしたが、「ビットコインが一国の法定通貨になる」という歴史的な内容に相場はポジティブに反応しました。エルサルバドルの発表があった後にはブラジルやアルゼンチン、メキシコ、パナマ、パラグアイといった他の中南米諸国においても一部の政治家がビットコインを支持する姿勢を示しました。
これを受けて突然、日本の政治家が「ビットコインを法定通貨にしよう」と言い出したら皆さんはどのように反応しますか?
「ビットコインに投資することすらまだまだ抵抗があるのに、それが通貨になるだなんて信じられない!」
「たとえビットコインが通貨になったとしても、日本円を持つ方が安心できる」
おそらく多くの人はこのように否定的な反応をするかと思います。それではなぜエルサルバドルをはじめとする中南米諸国ではビットコインを通貨とすることに肯定的な意見があるのでしょう。
そもそもビットコインは通貨なのか?
今でこそビットコインはデジタル資産として定着しつつありますが、もともとは個人同士が金融機関を介さずとも直接やり取りすることができる電子通貨システムとして誕生しました。そのため、ビットコインが通貨であるのかについてはこれまでも様々な議論が展開されています。
一般に通貨は「価値の交換」「価値の尺度」「価値の保存」の3つの機能を備えるものとして考えられています。それがモノやサービスの購入に使えること、それによってモノやサービスの価値を測れること、それを持つことで資産の価値を維持できることが通貨としては重要になります。
これらの観点で見たときに、ビットコインはそのボラティリティの高さから通貨にはなりえないとの意見が優勢となっています。ビットコインでは価値を安定的に保つことが難しく、交換や尺度の観点からも通貨としての利用に不都合が生じます。確かにビットコインは通貨に向いていないのかもしれません。
しかし、ボラティリティだけを理由にビットコインの通貨としての可能性を否定することはできません。国際的にも価値が安定した日本円で生活している私たちには想像が難しいですが、新興国のなかには国内で流通する通貨の価値が短期的に大きく変動する国もあります。
つまり、ボラティリティが高いものでも、国がそれを通貨として認めたうえで、国民がそれを信用して使うならば、通貨になりうるのです。エルサルバドルにおいてビットコインの使用は任意であるとのことですが、これから多くの国民がビットコインを日常的に使うことになれば、それは通貨として機能していることになります。