はじめに
高校生はどんな哲学を学ぶのか?
ここで、フランスの高校生たちがどのような内容を学ぶか見ておきましょう。哲学教育の内容は、日本でいう学習指導要領のような「高等学校普通科最終級における哲学プログラム」によって決まっています。教科書はなく、教え方も教員の裁量に任されていますが、表1~3に掲げた「概念」「哲学者(著者)」「手がかり(対立概念や類似概念の組み合わせ)」が教えるべき内容とされています。
(本書P.32より)
(本書P.33より)
このように「学ぶべき内容」は細かく決まっています。これらの概念や哲学者(著者)について個別に学ぶのではなく、たとえば、ある著者の一冊の哲学書(全体あるいは一部)を教材に選び、そこに現れる概念や手がかりを横断的に学ぶ方法があります。また、それとは逆に、一つの概念に関係する哲学者たちの著作について系統的に学ぶという方法もあります。その中でディセルタシオンの書き方やテクスト説明の方法についても、個別の添削などによって徐々に理解していくわけです。
哲学教育は「哲学者を育てる」ためではない!
ですから、バカロレア哲学試験は1年間の学習の成果を評価するものであり、問いに対する当意即妙の受け答えや、文才を試すものではありません。解答の仕方も厳密に決められています。それは特にディセルタシオンの解法にはっきり見ることができます。そのディセルタシオンの解法こそが、この本で「思考の型」を呼ぶものなのです。
この「思考の型」は、学校で教えられるものです。生徒たちはこの「思考の型」をどれほどしっかりと身につけているかを、バカロレア哲学試験で試される、ということです。つまり、それは教授可能であり、学習可能である、ということです。
この「思考の型」がどのようなものであるかを知り、それを学べば、フランスの高校生でなくても、バカロレア哲学試験の問題にどう答えればいいかはわかります。それだけでなく、この「思考の型」は哲学試験に役立つだけではない、ということもわかるのです。