はじめに

「フランス人はみんな哲学できる」は本当か?

ところで、もう一つのよくある誤解を解いておきましょう。それは、「高校で哲学が必修なのだから、フランス人はみんな哲学ができるはずだ」という誤解です。高卒認定の試験に哲学が存在するのだから、哲学でもそれなりの成績を取らないと合格できないはずだと考えるならば、フランス人はみんな哲学ができると言ってもいいように思えるかもしれません。

しかし実際には、そんなことはないのです。二つの理由によってそれを説明しておきましょう。一つ目はバカロレアの採点の仕組みです。日本の試験が大体100点満点で採点されるように、フランスの試験のほとんどは20点満点で採点されます。バカロレアも同じです。各科目が20点満点で採点され、10点以上が合格点となります。

20点満点で採点されたバカロレアの複数の科目は、それぞれの科目にあらかじめ定められた係数を掛け合わせた後に、20点満点で平均点が算出されます。この平均点が10点以上でバカロレア取得となります。ということはつまり、得意教科でよい成績を取っていれば、いくつかの科目が10点未満であっても、平均すれば10点を超えるので合格、ということになるのです。

哲学は、多くの受験生たちにとって弱点になっています。少し古いデータですが、2002年から2004年まで国民教育大臣も務めた哲学者リュック・フェリーと同じく哲学者のアラン・ルノーの1999年の著者によると、バカロレア哲学試験の平均点は20点中7点だということです。

普通バカロレアでは哲学試験の答案の47%が7点以下、そして71%以上の答案が10点未満ということです(7点は、問題や課題文が理解できていないというレベルです)。つまり、哲学試験の成績からすると、フランスの高校生の7割以上は哲学が「できない」のです。

二つ目の理由は、合格者数に関係しています。コロナ禍前の19年に実施されたバカロレア試験の合格者の同年齢人口(日本の18歳人口を想像してもらえばいいでしょう)に占める割合は、79.7%です。そのうち、普通バカロレアが42.5%、技術バカロレアが16.4%、職業バカロレアが20.8%となっています。哲学が必修なのは、普通バカロレアと技術バカロレアの大部分です(技術バカロレアの音楽・舞踊コースでは哲学が必修ではありませんが、合格者は技術バカロレア全体の2%程度です)。ということは、同年齢人口のうち、およそ59%が哲学を受験しているということです。

しかし、先ほど触れたように、哲学の答案の7割以上は合格点に達していません。1999年の話とはいえ、その後の哲学試験の内容や評価は変化していませんから、これは現在でもほぼ同じと考えてよいでしょう(同年齢人口に占める受験者の比率は増えていますので、もしかするともっと悪くなっているかもしれません)。そうすると、59%のうち3割弱、つまり18%弱しか「哲学ができる」人はいないのです。

では、なぜフランスの学生たちは哲学を学ぶのでしょうか。それは、生徒たちを哲学の専門家にするためではありません。国民教育総視学官という、教育全体を統括するポストにあったマルク・シェランガムによれば、哲学という「道具」を通じて、生徒たちが「考える自由」を獲得し、「市民」を育てることこそが哲学教育の目的なのです。

ですから、哲学教育によって、高校生たちは市民として必要な考える力を身につけることを期待されています。そしてその考える力は、言葉にされることではじめて評価されるのですから、表現力を育てることにもつながります。哲学は、市民にとって必要な、思考し、表現する能力を育てるのです。哲学が彼らに与えるのは、いわば社会で生きる「武器」としての論理的思考力・表現力なのです。

坂本尚志(さかもと・たかし)
1976年生まれ。京都薬科大学准教授。京都大学文学部卒業、同大大学院文学研究科修士課程修了。ボルドー第三大学大学院哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門はフランス現代思想(ミシェル・フーコー)、哲学教育。
著書:『バカロレア幸福論 フランスの高校生に学ぶ哲学的思考のレッスン』(星海社新書)、『共にあることの哲学と現実 家族・社会・文学・政治』(共著、書肆心水)ほか。
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バカロレアの哲学「思考の型」で自ら考え、書く 坂本尚志 著

バカロレアの哲学 「思考の型」で自ら考え、書く
フランスの大学入学資格試験のバカロレアの哲学小論文(=ディセルタシオン)作成で必要な「思考の型」。思い付きや思い込みではなく、他者の考えを検討し、自ら考え、正解が一つとは限らない問題に対処して自分なりの答えを見つけ出すための実践的哲学入門。

(この記事は日本実業出版社からの転載です)

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