はじめに

歴史をふり返ると、経済的繁栄を謳歌した都市には大抵、運河があります。ルネサンス時代のヴェネチア、大航海時代のアムステルダム、そして日本の江戸――。活発な商取引には「物流」がつきものです。歴史のほとんどの時代で、水上輸送がもっとも優れた運搬手段でした。

産業革命下のイギリスやアメリカも例外ではありません。18世紀後半から19世紀初頭にかけて、英米では運河の建設ラッシュが始まりました。

たとえばロンドン中心部には「カムデン・ロック・マーケット」という東京の原宿のような若者の街があります。この「ロック」とは運河の閘門(こうもん)のこと。1820年に開通したリージェント運河の姿を今に留めています。アニメが好きな人なら、映画『けいおん!』の聖地としてご存じかもしれませんね。

産業の発展にともない物資の運搬が盛んになると、運河を掘って通行料を取るビジネスが儲かるようになりました。イギリスでは1758年から1803年の間に、165本の運河法案が議会に提出されました(※当時は運河会社の設立が許可制で、議会の立法が必要でした)。単純計算で、毎年3本以上の運河が新たに計画されていたことになります。この運河ブームは19世紀半ばまで続きます。

流れを変えたのは、鉄道の登場でした。


人類の生活を一変させた鉄道

1801年、イギリスの技術者リチャード・トレヴィシックは自作の蒸気機関を車両に取り付けて走らせることに成功しました。「機関車」が誕生した瞬間です。1804年、トレヴィシックはウェールズに16キロメートルの線路を引き、ペナダレン溶鉱炉から近くの運河まで10トンの鉄と70人の人間を運ぶことに成功しました。さらに1808年にはロンドンで「蒸気馬車」に客を乗せて楽しませるところまで行きました。

1801~21年の間に、イギリスでは14社の鉄道会社が特許を申請しました。しかし、これら初期の会社は、線路だけを敷設して通行料を取るというビジネスモデルでした。運河会社と同じような発想だったわけです。

1821年に会社設立の特許を得たストックトン・アンド・ダーリントン鉄道も、そういう「線路貸しビジネス」の会社としてスタートを切りました。ところが1825年、自社で蒸気機関車を購入して線路を走らせ、運賃を徴収するというビジネスを始めます。彼らが導入したのは「鉄道の父」ことジョージ・スティーブンソンの発明したロコモーション号でした。

少し遅れて、マンチェスター‐リバプール間を結ぶ鉄道敷設が議会に申請されました。これは既得権益者である運河会社から激しく反対されることになるのですが、結局、承認されます。なぜなら運河では片道36時間かかる道のりを、鉄道ならわずか5時間に短縮でき、運賃は1/3になったからです。

鉄道は、過去200年で最も人類の生活を一変させた発明のひとつです。

投資理論家・歴史研究家のウィリアム・バーンスタインは「私たちは現代こそが劇的な技術革新の時代だと考えがちだが、これはうぬぼれた幻想にすぎない」と述べています。「1730年から1850年にかけての120年間に起きた爆発的な技術進歩は、まさしく社会の最上層から最下層にいたるまで人々の生活を激変させたのだ」と。

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