はじめに

人々の時間感覚が変化

この激変のなかでも、鉄道が果たした役割は大きいでしょう。

蒸気機関車が生まれるまで、地上を馬よりも早く移動する手段はありませんでした。動物に詳しい人ならご存じの通り、馬は最高速度こそ速いものの、人間(のマラソンランナー)のように炎天下を2時間も走り続けられるようなスタミナはありません。長距離輸送における馬の利点は積載量であり、速さではありません。馬車と徒歩とでは、所要時間はほとんど変わらないのです。

18世紀末、アメリカ合衆国「建国の父」ことトマス・ジェファーソンがモンティチェロの自宅からフィラデルフィアに行くには10日間かかりました。肉体的な負担はもちろん、事故や追いはぎの危険がつきものでした。ところが1850年代には、同じ区間をわずか1日で、ごく安全に、ずっと低価格で移動できるようになりました。これで人々の暮らしが変わらないはずがありません。

鉄道が普及するまで、人々は数日~数ヶ月という時間感覚で生活していました。辺境の農民であれば季節ごとの変化を把握していればよく、今日が何月何日であるか分からない人も珍しくなかったかもしれません。

たとえば『種の起源』で有名なチャールズ・ダーウィンは、若いころに5年間かけて世界一周の船旅をしました。が、1836年に馬車を急がせて帰宅したとき、家族は全員寝静まっていて、誰一人出迎える人はいませんでした。ダーウィンの家族は「息子がそろそろ帰ってくるらしい」とは知っていても、具体的に何月何日に帰ってくるのかまでは把握していなかったはずです。

ところが鉄道の普及により、「時刻表」という言葉が生まれます。

人々の時間感覚はより細分化されて、何月何日、何時何分……という単位で行動するようになりました。現代の私たちにとって当然の感覚は、この時代に生まれたのです。人々が「鉄道時間」で生活するようになったとも言われます。現代の私たちが「インターネット時間」で暮らすようになったことに似ていますね。

1830~40年代は、鉄道狂時代とも呼ばれています。イギリスやアメリカを中心に、西ヨーロッパで鉄道網が一気に広まりました。先述のダーウィンを例にすれば、結婚後の1842年にロンドン郊外のダウン村に邸宅を購入しました。このとき、家探しの条件に「8キロメートル以内に駅があること」をあげていました。わずか数年で、鉄道が生活になくてはならないものになっていたことが分かります(※実際にはダウン村は最寄りの駅まで13キロメートル離れていたのですが、おそらくダーウィンにとっては許容範囲内だったのでしょう)。

経済の面でも、鉄道はかつてない産業でした。

線路を引くための土地、レールのための鉄、枕木のための木材、燃料である石炭、乗員や駅員の給料――。かつてないほどカネのかかる産業だったのです。鉄道会社を経営するには、歴史上類を見ない多額の資本が必要でした。鉄道会社はこぞって株式を発行し、投資家からカネをかき集めました。

これが次回のテーマ、公認会計士制度の誕生に繋がっていきます。

■主要参考文献■
ウィリアム・バーンスタイン『「豊かさ」の誕生』
ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』
A・デズモンド&J・ムーア『ダーウィン 世界を変えたナチュラリスト』

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