はじめに

19世紀に入ると蒸気機関車が発明され、1820年代から本格的に鉄道の歴史が始まりました。

1830~40年代はいわゆる「鉄道狂時代」で、イギリスやアメリカ、西ヨーロッパで鉄道網が一気に広がっていきました。鉄道はかつてないほどたくさんのカネ――資本を要する産業でした。新興の鉄道会社たちは株式を発行し、投資家たちからカネをかき集めたのです。

ここまでが前回のおさらいです。


鉄道事業の収支計算に会計が発達

19世紀の終わり、1899年のニューヨーク市場では時価総額の63%が鉄道株でした。

残りは政府の公債等であり、当時の証券市場といえば、ほぼ鉄道株市場だったと言えます。これはロンドンや東京の市場でも似たり寄ったりでした。金融の面だけでいえば、19世紀は鉄道の世紀だったと言ってもいいかもしれません。

鉄道で儲けを出すには、正確な会計が欠かせません。

なぜ鉄道が膨大な資本を要するのか、少し想像してみてください。前回も書いたとおり、線路を引くための土地の取得にカネがかかるのはもちろんです。レールを引くには鉄材や木材が大量に必要になりますし、車両そのものも高額です。これらはすべて使用するごとに損耗していくので、メンテナンスの費用が発生します。さらに、ここに燃料費や乗員、駅員の人件費も加わります。これらの金額をすべて把握しなければ、適正な運賃を計算することはできません。乗客にいくら払ってもらえば儲けが出せるのか分からないのです。

じつを言えば、現代においても旅客運賃を計算するのは簡単ではありません。

2010年1月に経営破綻した日本航空では、1便の飛行機の収支が判明するまでに2ヶ月かかっていました(※その後の経営再建を経て、大幅に改善されたそうですが)。21世紀の日本企業でさえそういう状況だったのですから、コンピュータもない19世紀に鉄道会社がどのように経理作業を行っていたのか、考えるだけで頭がくらくらします。

当時の鉄道会社では区間ごとに経理チームを編成し、会計報告を本社に送るためにルーズリーフ式の帳簿を使っていました。また、仕訳帳や領収書などの書類の規格を統一して、大量に印刷して各オフィスに配っていました。当時のアメリカで最大手の繊維メーカーが4セットの元帳を使っていたのに対して、1857年のペンシルベニア鉄道のそれは144セット。恐るべき人海戦術でカネの計算をしていたことが想像できます。

それでも1844年にはフランス人技師アドルフ・ジュリアンにより適正運賃を算出する計算式が編み出され、1860年代には株主宛の事業報告書に会計報告を掲載することが当たり前になっていたというのですから、恐れ入ります。

問題は、その会計報告が不正確だったということです。

公認会計士の誕生

車両であれ、レールであれ、どんなモノでもいつかは壊れて使えなくなります。固定資産には耐用年数を設定して、購入に要した金額をその期間で割らなければ、正しい利益を計算することはできません。皆さんもご存じの「減価償却」の考え方です。

しかし、19世紀にはまだこの考え方は今ほど一般的になっておらず、たとえば車両を購入したときに全額を費用に計上してしまう会社も珍しくありませんでした。

さらに、意図的に不正確な会計報告を行うことも横行しました。

要するに、粉飾です。

投資家の側でも、鉄道会社の経営や収益構造に詳しい人は稀でした。業績が好調であるように見せかければ、株式市場を通じていくらでもカネを集めることができたのです。鉄道株の投機で財を成した実業家ダニエル・ドリューはこんな言葉を残しています。

「内部の事情に通じていない人が鉄道株を買うのは、ろうそくの光を頼りに牛を買うようなものだ」

もちろん投資家の側も黙ってはいません。専門的な知識を持つ会計士によって監査を受けるよう、鉄道会社に要求するようになります。こうして1840年代には、現代まで続く会計事務所が次々に開業しました。

1845年開業のウィリアム・ウェルチ・デロイト(現デロイト・トウシュ・トーマツ)、1849年開業のハーディング&プレイン(現アーンスト&ヤング)、同じく1849年開業のサミュエル・ローウェル・プライス(現プライス・ウォーターハウス・パーク)、少し遅れて1870年にはウィリアム・パークレイ・ピート(現KPMG)が事務所を開きました。

1854年、スコットランドで勅許会計士の審査基準が正式に定められます。ついに公的な認可を受けた会計士――すなわち公認会計士が誕生したのです。イングランドもこの基準に追従しました。一方、ニューヨークでは1849年には会計監査基準の検討が始まっていましたが、アメリカ公認会計士教会が設立されたのは1887年のことです。

イタリアではフィレンツェが中心となり、1876年に公認会計士協会が設立されました。オランダでは1895年でした。この他にも19世紀末までに、フランス、ドイツ、スウェーデン、ベルギーで次々に公認会計士協会が誕生しました。

かつて「会計」は、あくまでも私的なものにすぎませんでした。複式簿記はルネサンスの頃のイタリアで、商売人が自らの懐具合を把握するために発展させました。1602年に最初の株式会社が登場してから、およそ300年。ようやく公認会計士が一般化し、会計制度は公的なものになったのです。

■主要参考文献■
ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』
板谷敏彦『金融の世界史』
http://diamond.jp/articles/-/16284?page=5

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