はじめに

初期のEICは一種の「ギルド」だった

結成された直後のEICは単一の企業ではありませんでした。EICの組織内で、航海1回ごとに個別の企業が設立されていたのです。航海が成功して船が港に戻ってきたら、個別企業を解散して、利益を元本とともに出資者で山分けするという仕組みでした。要するに当時のEICは、外郭組織に過ぎなかったのです。

アジア貿易に出資したいと考える人は、まずEICに加入金を支払って、そのメンバーになる必要がありました。晴れてメンバーになれたら、航海ごとの個別企業に投資できるようになりました。このような組織形態は「規制組合(regulated company)」と呼ばれており、古くはギルド制に端を発するものでした。companyと銘打たれていますが、現代的な企業とは全く違います。「会社」ではなく、「組合」や「お仲間」と訳したほうがよさそうです。

航海ごとに企業の設立と解散を繰り返すのは、さすがに不便だったのでしょう。やがて、数回の航海をまとめて運営する「合本企業」が設立されるようになりました。それでもなお、永続的な企業組織は生まれませんでした。

革命がEICを変えた

17世紀のイギリスといえば、大きな政変を経験しています。

そう、1641~49年のピューリタン革命です。

さまざまな解釈がありますが、政治に不満を持つ一般人が国王を倒したという点では、これは純然たる市民革命でした。オリバー・クロムウェルの率いる議会軍は国王軍を打ち破り、イングランドの共和制時代が始まりました。

クロムウェルは1657年、EICの改組に手を付けました。ここでようやく、一時的な企業の集合体だったEICは、永続的な組織へと姿を変えました。

共和制そのものは10年少々しか続かず、1660年にはチャールズ二世が即位。イングランドは王政へと戻りました。それから2年後の1662年、「破産宣告者に関する布告の条例」が制定されました。この条例により有限責任制が認められ、ついにEICは株式会社へと姿を変えたのです。

とはいえ、です。

この時代になってもまだ、EICでは複式簿記が使われていませんでした。

ヴェネチアやジェノバ、フィレンツェではルネサンス期に複式簿記が発明されていたにも関わらず、それがヨーロッパ全体に広がるのには時間がかかったのです。

EICで複式簿記が導入されたのは、1664年になってからでした。次回の記事では、現存するEICの帳簿から、その財務実務に迫ってみたいと思います。

■主要参考文献■
中野常男・清水泰洋『近代会計史入門』
小林幸雄『図説 イングランド海軍の歴史』

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